2025年6月30日月曜日

新幹線大爆破をみた

新幹線大爆破は1975年(右)に作られ、2025年(左)にリメイクされた作品。

1975年版の新幹線大爆破は高校生の時に学校で観た。映画サークルの人たちが熱心に上映の機会を作ってみせてくれたような記憶がある。で、物凄く面白かったという記憶が残っている。日本にもこのようなハリウッドのスペクタル映画を凌駕するような作品が1970年代にすでに存在したことが日本人として誇りであった。この1975年版では犯人側の視点が強く描かれており当時の雰囲気つまり悪にもそれなりの理由があって同情できるというような解釈が成り立つような構造でできている。主犯役が高倉健とあることからある意味犯人が主役と言ってもいい作品である。ラストの高倉健が撃たれて倒れるシーンはとても悲しく素晴らしかった。

2025年版は打って変わって主役は新幹線の車掌である草彅剛である。犯人は女子高生というとんでもびっくりの内容であるが、まあこの女子高生役の女優さんが良かったのであまり文句は言いたくないのであるがそれにしてもやはり女子高生が犯人で新幹線に爆弾を仕掛けるというのは無理があると思う。おまけに爆弾を準備したのは1975年版の主犯の息子というかなり強引な筋でなんだかなと思う。そう、この2025年版では1975年版の事件が実際にあったものとして引用されているのである。それはそれで面白いと思うが、どうも牽強付会という印象は拭えない。ただ、主犯の女子高生が自分の父親を爆弾で吹っ飛ばした後のそのクールな表情はとても印象に残る良いシーンだった。

話の展開は2025年版の方がテンポ良くどんどんと話に吸い込まれていく感じであり、JR東日本の全面的協力もあり新幹線というハード面の描き方もきちんとしていた。

1975年版の犯人たちは倒産した中小企業の経営者でありそこで雇われていた前科者の若者であり学生運動崩れの若者という社会の陰を表すものたちであり、社会的な反逆という面を持っていたが、2025年版では犯人は親に虐待された女子高生という極めて個人的な反逆になっている。それはそれで時代を反映したものだと思う。わたしがずっーーーと主張していることに「この世はたった一人の個人の狂気によって滅びる」というのがある。今回の2025年版をみて、そういうふうになりつつあることを感じた。