2011年8月30日火曜日

作家の使命?

 




















3月11日の東北大震災以降、多くの作 家の方たちが震災復興の一助となればという思いから様々なボランティア活動を展開なされています。これはこれですばらしいことには違いありません。間違い なく。それではおまえはどうなんだ?と質問されるとわたしとしては返答に窮してしまうのですが、まあわたしは作家未満なのでお許しくださいというかなんと いうか・・・・言葉を濁すことしかできませんが、こういう実益に叶う作家活動というものを見聞きするたびに思い出されるのが、筒井康隆さんが文芸時評(詳 細は上記を参照してください)で書いておられた下記の文です。

飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か。
もちろん有効である。
そんな子供に文学を与えたらもっと早く、いや、たちどころに死ぬ。
それを見て笑うのがおれの役目とお知りおきいただきたい。
死にかけている子供も殺せない文学でどうするのか。

この文章を読んだ時、単純に「やっぱそうだよなあ」と独りごちて何か勇気づけられたものでした。
こ こでは筒井さんはまだ文学が有効であると考えておられるのでそれは作家としてあるべき姿勢だと思われます。一方、作家がなにかの役にたってどうするんだろ う、役立たずのどうしようもない人が作家になるんだろうというのが当時からのわたしの思いであり、現在もその思いに相違はありません。だから自分が作家に なりたいなどということは誰にも知られてはいけないことで、たとえ作家となってもそれを周りの人には知られたくないし、知らせたくもないと思ってました。 作家未満となってしまった現在はあまりこだわりはありませんが(笑)。だからダメなのかも知れません。
人 間誰しも少しは世の中で何かの役にたっていたいと思うものです。それを敢然と拒否してロクデナシの人生を歩むのが作家というものだろうと思うのですが、ま あこれは理想論です。多くの作家が本職あるいは副業をもって、なんとか折り合いをつけながら作家活動をしているのではないでしょうか。
で、 作家の使命とは?と書いてどうでもよくなってしまいました。そんなものはどうでもいいんだよと天使が囁いてくれてます。好き勝手に思うままに何かをつくれ ばいいんだよ。でもね、作品をつくらないことには始まらないんだよ。そうなんです。さあ、作品作りに精を出そう!ということを書きたかっただけ。
なんとか8月にエントリーできてよかった。
断筆にいたる一年、小説の技術・文学の面白さを論じ、読んで楽しい、文学がわかる、実践・感情移入批評。季刊『文芸』1993年春秋号から冬季まで連載された、筒井康隆の最初で最後の文芸時評。
Amazonより)