2016年12月30日金曜日

2016年ベスト・ワン


 アイセンター 手術室1

恒例の年間ベスト・ワンを今年も。
といっても今年はわたしがそのコンセプト、設計、医療機器、医療システム等のすべてに総合プロデューサーのような形でその設立に関わったアイセンターが完成し、12月にようやく開院したため、わたし自身のその労力および関心の多くがアイセンターに投入されたため、映画観賞、音楽観賞や読書といったことへの注入エネルギー量が絶対的に減ってしまったことは歪めない事実であります。
そのアイセンターはわたし自身が思い描いたもののほぼ90%が具現化された形で完成へと至りました。ほぼ満足です。わたしが投資したわけではないので、わたしの夢へあまり文句もいわずの投資してくれた医療法人には感謝の一言です。
今後はこのアイセンターを日本有数の施設へと成長させていくことが所長としてのわたしの使命です。がんばろっと!参考のために、下にアイセンターの写真を貼っておきます。

リカバリー室
 外来

それでもベスト・ワンは決めなくてはいけないので、決めます!
というか今年は、ロブ・ハルフォードとBABYMETALの共演かシンゴジラのどちらかと迷ったのですが、やはり邦画SFの金字塔というべきものを創り上げたシンゴジラしかないような気がします。いや、どう考えても、今年のベスト・ワンは、
シンゴジラ
で決定です!

2016年11月27日日曜日

BABYMETALと「君の名は。」

 君の名は。は、新海誠監督の長編アニメーション映画。2016年8月26日公開。

最近はある作品に対してなにか喩えようのない違和感を抱くことなどあまりなかったのですが、例えば、15年前くらいに「世界の中心で、愛をさけぶ」という小説がベストセラーになり、興味本位で読んでみたところ、まさに
糞みたいな作品!
 であったので、なにか喩えようのない不安のような違和感を抱き、こんな糞を世の中の多くが絶賛していると考えると絶望感のようなものまで感じざるを得なかったわけですが、しかしわたしの回りの人に訊くと皆、「あれは糞ですね」と同意してくれたのでまあ少しは安堵したわけですが、例えば、「アルマゲドン」という超糞映画にしてもあんな糞映画に感動して涙する糞みたいな人たちがいるのは仕方なく、糞は糞同士で仲良くやってろという意味不明な感想を持ったりもするのですが、そのような感慨をしばらく持つことがなく、平和に過ごしてきた昨今、久しぶりのその違和感を感じてしまう作品に出会いました。そう、それが「君の名は。」です。
しかし、まず言っておきますが、「君の名は。」は糞ではありません。糞というほどに鑑賞後に腹が立ったわけではありません。でも、どうしても内容のディテールには承服し難いものがあり、おまけに最後の終り方のなんというか・・・甘い・・・そう、とにかく一切の不協和音をなくしたその終り方に、「やれやれ・・・」という感想を抱いたのでした。ここからネタバレですが、人格が移り変わっただけで大事件なのに、そんなことが起こったらまず自分の現在の状況を掴むためにあらゆる情報を集めるからにその時代がいつなのか、人格が移った自分はどこに住んでいるのかとかとことん調べるでしょうに、そうしたら時系列が3年ずれていることなどすぐに二人共理解するだろうに、そういったことがまったく抜けてご都合主義的に物語がすすむのはどうしても我慢できませんでした。でも、これは作品を観終わってから抱いた感想です。作品を観ている間は筋がわからないのであまり気にならないのですが(それでも人格が移り変わった先の日常生活にあまりにすぐに馴染みすぎるのもなんだかなあ・・と思いましたし、そもそも移り変わった初日なんて驚くだけで普通の日常生活が送れるわけもないのにあまりに普通にしているその姿があまりに人を馬鹿にしているなあとも感じられたのですが)、時系列が3年ズレていることを知った時は、「はああああああ、そんなんやったら主人公二人はすでにそれくらいのこと気付いてるやろ、ぼけっ!!」という身も蓋もない感想がずっとわたしの脳裏の片隅にこびりついていました。
この「君の名は。」を絶賛する人たちは多いようで、そういう方たちには、「確かに悪い作品ではないよね」と一応言います。で、心中で、「こんな糞作品を絶賛するお前は糞に違いない」と思うのでした。
大体、糞作品に限って多くの大衆の共感を得るようで、この「君の名は。」は大ヒットしています。まさに、「やれやれ・・」です。
あれっ、いつのまにか「君の名は。」を糞って言っている。すみません。それほど糞ではありません。いやあ、信者は怖いですから。この糞が!
で、なぜにBABYMETAL?
これは単にベビメタが紅白歌合戦に出場しないことがわかり、それはベビメタにとっては朗報に違いなく、その点で違和感なく、気持ちのよい年末を迎えられそうでよかったということです。わたしは、小学生の頃に親類の家で大晦日を迎えた際に紅白歌合戦を観た記憶があるのですが、以来、紅白歌合戦なるものをきちんと観たことがないのです。5分くらいなら観たことあるかもというくらいです。ですからわたしが観ることがない紅白歌合戦などにベビメタが出ても仕方ないのです。そもそも、紅白歌合戦って、爺婆対象のものでしょう。今後もベビメタは紅白歌合戦には絶対に出場しないでほしいです。やれやれ・・。

2016年10月30日日曜日

菊とギロチン

関東大震災後の混沌の中で、様々な大衆文化が花開くと同時に軍事国家への道をひた走る
大正時代末期の日本が舞台。
当時農村を中心に活況を呈していた、「女相撲興行」の力士たちと、
格差のない理想世界を夢見る若きアナキストたちの出会いを軸に、庶民たちの荒々しくも猥雑なパワーを、
ロマンスあり、活劇あり、社会風刺ありで描く骨太エンターテインメント。

学生の頃からもしある程度の財を成したなら老後は映画館を経営して、自分の好きな映画ばかりを上映したいなあという凡庸な夢を描いていたのですが、ここまでインターネットが発達し、映画そのものをビデオやDVDを所有して観るのではなく、クラウドのなかから好きなものをその時に選択して観るという映画の観方がおそらく今後の趨勢になると思われる現状からは、老後に映画館を経営するという夢は儚くも散ってしまうべき程度のものなのですが、それでもなんとか映画文化のその一端に自分がなにか協力できることがあればとなんとなく思っていた昨今、瀬々監督が「菊とギロチン」という新作を撮るにあたって出資者を募集しているという情報を瀬々監督のツイッターで知り、「菊とギロチン」のHPをみて、この作品の内容を知ったところで無性にこの作品へ出資したくなって、結局出資してしまいました(出資額は内緒)。
瀬々監督については以前のエントリー(こちら)で触れています。
出資する旨をメールしたところ、大変喜んでもらい、その前に、一度プロデューサーと会って話をすることになりました。出資するのに面談があるのかとちょっとびっくりしましたが金を出す人は誰でもOKというわけではないよというその姿勢には好感がもてました。プロデューサーが京都に所用で来る機会に会うことになり、わたしが指定した北白川のカフェで今年の6月頃に会いました。そこには、驚いたことに瀬々監督自身も来られていました。
「ようっ、久しぶり」
そんな感じで、雑談が始まりました。瀬々監督とプロデューサー、それに京都のプロデューサーみたいな方(京大西部講堂の運営責任者でもあるらしい)ととりとめもない話をしました。楽しかったです。別に出資する理由を訊かれるわけでもなく、本当に映画に纏わる、そして眼の病気に纏わる話(わたしが眼科医ということは知らせていたので)をゆるーい感じで話しました。
その頃に上映していた「64」という作品の監督が瀬々だということを知り、瀬々監督からは無料チケットをいただきましたが、結局観に行くことはできませんでした。
瀬々、ごめん。
「64」は前後編ともにかなりヒットしたのですが、売上による歩合制の契約ではなかったということで、いくらヒットしても瀬々監督の懐が豊かになるわけではないことを教えていただき、なんというかちょっと悲哀のようなものを感じました(笑)。
雑談の終りに、わたしが「ヘブンズストーリー」の山崎ハコと「リップヴァンウィンクルの花嫁」のCOCCOが似ていると話したところ、瀬々監督は「ふーん」となんとなく同意するようなそうでもないような返事をし、すぐに「リップヴァンウィンクル、面白かっただろ?」と訊いてきたので、「もちろん」とわたしは即答したのをなぜか覚えています。しかし、今考えると「もちろん」という程には「リップヴァンウィンクルの花嫁」が面白いわけではなかったのでどうして「もちろん」と即答してしまったのか不思議に思っています。
「菊とギロチン」は現在、京都と滋賀で撮影中です。撮影見学の案内なども来ましたが、残念ながら行く暇はありませんでした。しかし、ともかくこの「菊とギロチン」には期待しています。もちろん、瀬々のこれまでの作品群のわたしなりの評価からわたしの期待が見事に裏切られる可能性が高いことも予想しています(笑)。
「菊とギロチン」の女相撲をみて、わたしがまず第一に思い浮かべたのは寺山修司の「大山デブ子の一生」です。瀬々が寺山的なものを創るとは有り得ないことですし、瀬々監督本人も拒否するでしょうが、なんとなく期待してしまいます。
この作品には大杉栄が登場しますが、その時、瀬々監督に誰が大杉栄を演るのかと訊いたところ、作品内には大杉栄自身は登場しないようなことを言われました。もし登場するならわたしは大杉栄役に三上博史を推薦したかったのですが、結局それを伝えることはできませんでした。
三上博史の大杉栄、観てみたいと思いませんか?


2016年9月22日木曜日

BABYMETAL at Tokyo Dome


本業で忙しいなか、東京近郊でビジネスミーティングがたて続けにあったその合間を縫って、ベビメタの東京ドームライブに参戦してきました。
RED NIGHTとBLACH NIGHTの2日あったのですが、さすがに両日参戦は不可能でREDの方だけとなりました。
当日は雨で、ドーム内に入場するにもかなり時間がかかりました。おそらく1時間は要したと思います。とにかく各ゲート待ちの列がぐちゃぐちゃでこれは運営の責任ではないでしょうか。
わたしの席は1塁側内野席の前から6列目 という良席でした。これはベビメタのファンクラブThe Oneの最初の募集で当たったものです。ですから良席であるのは当たり前です。
ステージは予想通りのセンターステージでその高さはドームの天井に付かんばかりのもの凄いものでそこには天空ステージがありました。わたしの席からはなんとかその天空ステージにいる3姫を観ることはできましたが、アリーナ席の人たちは観れなかったでしょう。
とにかくセンターステージに張り巡らされた巨大3面スクリーン(形はドラム状でした)のおかげで3姫および神バンドの姿はとてもよくわかりました。
ドームは音響がいまひとつと聞いていましたが、わたしの感覚ではこれまで参戦したベビメタのライブのなかで一番音響が良かったです。これは席の位置によるものかもしれず、一概にドームだから良かった、良くなかったというのはなかなか当てはまらないものだと思いました。とまれ、今回の音響は最高でした。また、ドーム全体を利用したレーザー光線を初めとした演出も過去最高のものであることはまちがいなく、途中に挟まる紙芝居も最高でした。
いや、文句なしにベビメタの過去最高のライブであったことにまちがいはありません。
ライブの初めに、コバメタルからREDとBLACKの2日でベビメタの全曲を演じる、2日ともに演じる曲はないことが告げられました。1日だけしか参戦しないわたしには辛いものがありましたがなんとか自分の好きな曲が本日演られることを願うのみでした。その曲とは、勿論、FDTD、Tales of The Destiny、シンコペーション、メタ太郎、Sis. Anger、ウキウキミッドナイトです。
で、結局、このうちREDで演られたのはTalesとシンコペーションだけ。しかし、Talesはベビメタ自体にとって初演であり、ガチプログレであるため実際にライブで再現可能なのかどうか話題になっていた曲でありそれが眼前で観れたというのは幸せでした。そして、そのままThe Oneに流れていき、会場が光に包まれる構成(下写真)はすばらしかったです。


シンコペーションもカッコよかった!
あのかっこいいギターのフレーズが静かに何度も奏でられて徐々に始まる構成は素晴らしい!シンコペーション、見直しました。
で、FDTDが最後に演じられれば言うことなしだったのですが、それはなし。おまけに終演後にすぐにBGMとしてFDTDが流れてきたので、わたしはこれは明日もないのかも。つまりFDTDは欧米版のみに収録されているので日本での公演では演られないことの暗示かと思ったのですが、結果、それは当たってました。翌日もFDTDは演られませんでした。ですからわたしとしてはREDに参戦できてこれは当たり!と思えました。BLACKだったら後悔してただろうとは容易に想像できます。なにせBLACKは昔の曲が多すぎです。それにわたしにとってはくどい煽りは勘弁というのがありまして、「We are BABYMETAL」というのを最後に何度も繰り返すのは辟易してましたし(REDではこれがなかった。ついでに「See You」もなかった!だからとてもあっさりと終わってそれがとてもよかった!)、ですから「4の歌」もできればBLACKで演ってほしかったのですが不幸にもREDで演られ、ユイモアの長い煽りに辟易してました(笑)。
とにかくわたしとってはRED>BLACKでした。実は武道館もRED>BLACKだったので、今回もそうなるのではと暗に期待していたのですが、そうなりました。

さて今後のベビメタの展開ですが、とにかく年末は英国でレッチリとの共演ライブが幾つかあり、おそらく紅白にも出場するのでしょう。まあ紅白はどうでもいいですが・・。
普通の年ならこのベビメタ東京ドームライブが年間ベストになるのですが、今年はシン・ゴジラがあるからなあ・・・・。
来年はさらなる飛躍があるのでしょうか?コバメタルの手腕に期待DEATH!

終演後の写真。とにかく超満員でした。

2016年8月14日日曜日

シン・ゴジラを観た。


 シン・ゴジラ』(英題: GODZILLA Resurgence)は、
2016年(平成28年)7月29日公開の日本映画で、ゴジラシリーズの第29作である。
『ゴジラ FINAL WARS』以来約12年ぶりの日本製作のゴジラシリーズとなる。総監督・脚本は庵野秀明。

「シン・ゴジラ」を観てきました。
以降ネタバレ満載ですのでご注意を。
昨年の5月のエントリーでゴジラについて言及しているのですが (こちら)、そこでも不安要素しかなく、加えて、その後に、樋口監督による「進撃の巨人」のその糞っぷりに驚愕し、しかもその糞映画に出演していた石原さとみと長谷川博己が「シン・ゴジラ」の主演と知り(「進撃の巨人」の石原さとみは出演者のなかで一番よかったのですが)、これはダメかもしれんね・・と思いはじめていたのですが、いよいよの公開と同時に聞こえてきたのは絶賛の嵐!
なになにそんなに面白いのかあ???と疑いつつも、少なくともゴジラは着ぐるみではなくてきちんとCGでつくられており、しかもドラマはなく、現代日本にゴジラが出現したシミュレーション映画であると聞き、それはもう絶対観なくてはいけないと思い、観てきました。
で、感想は、いやあ〜〜〜滅茶苦茶面白かったです。
映画をみて、こんなにまたすぐに観たいと思ったのは久しぶりです。
こんな感動は、あの名作「GRAVITY(邦題「ゼロ・グラビティ」」以来です。邦画でいうと園子温の「愛のむきだし」以来かなあ・・・。でもこの2作よりももっとなんというか凄いものをみてしまった感があるような・・・いやいや「グラビティ」も凄かったしなあ・・・この「シン・ゴジラ」と「グラビティ」に共通するのは、どちらもほぼドラマがない、糞みたいな物語がないということです。これはとても重要なことなのです。今や、人間が考えるドラマなど糞以外のなにものでもないのです。それを特に意識したのは、この「シン・ゴジラ」が一部影響されていると考えられる3.11東北大震災です。あの時、なによりわたしを感銘させたのは一般の人々がスマホやビデオで撮影し、ネットに投稿されたなんの編集も受けていない震災の模様を写した動画群でした。そこには現場にいるもののみが発することができる冗談のような感慨(「うそおーん」とか「やべえ、おれの車があーー」とか悲壮感のない率直な声が聴こえた)があり、それらを前にするとマスコミや放送局が脚色して報じるものはすべて嘘のようなものにしか映らなかったというのは わたしだけが感じたことではないように思えます。
ドラマ・物語は死んだのか?
これはかなり昔から繰り返し言われてきたことですし、それでもなお新たな物語は生み出されており、また同じような物語が単純再生産されているというのが現実です。ですからドラマ・物語そのものを全否定するものではありませんが、物語そのものが成立しにくくなっているのは確かだと思います。
とにかく、「シン・ゴジラ」には家族愛や人類愛や恋愛などを絡ませんるという糞ショウモナイドラマは一切ありません。
あるのはゴジラの出現とそれに対応する日本政府のみです。
実は、この一点に少し不満があります。つまり、3.11でもっともリアルと感じたものが一般の人の投稿したネット動画であり、また庵野監督は手持ちカメラでの撮影は特技にしている風でもあるのですから市井の人が迫り来るゴジラを撮影しネットに投稿した動画というものを映画のなかに幾つか挿入すればよりリアル度があがったように思えます(まあ、ツイッター等のSNSの描写やニコ動の映像はあったのですが)。
もう一つ不満点をあげると、それはヤシオリ作戦(これはエヴァのヤシマ作戦へのオマージュ)の詳細をもうちょっと解説した方がよかったのではないかということ。映像だけをみるとヤシオリ作戦は結構ご都合主義的に見えてしまいます。あれはそうではなくて綿密に計算されシミュレートしたものであることを実際の作戦会議の時に簡単にでも解説した方がよかったのでないでしょうか(つまり、ゴジラの体内核燃料をすべて排出させるためにどれほどの米国の無人機の攻撃が必要で、その後のゴジラを横転させるためのビルの破壊、そのためのターゲットなるビルの選定、ミサイルの刺入角度、その爆撃容量、横転するゴジラの位置シミュレートと凝固促進剤の注入重機の配置シミュレーション、爆撃機としての在来線車両の利用の意味、その爆撃能力の概算とその突撃によるゴジラの影響、第二次攻撃によるゴジラの転倒位置シミュレートなどは事前に映像で簡単に説明してくれると実際の攻撃場面で場当たり的なものに見えず、それぞれの攻撃がすべて理に適っているようにみえるはずですし、実際にこれらは脚本段階で庵野監督ならやっていることだと思われます)。
最後にもう一つ不満点をあげるなら(すいません、不満ばかりで。でもこれは贅沢な不満であることをご了承ください)、ゴジラの生物学的考察が不十分であること。静止時のゴジラがいればもっといろいろと生物学的精査が行えたはずですし、それらの描写をすべしであり、その際に血液凝固促進剤の口腔粘膜からの注入というヤシオリ作戦の妥当性を生物学的見地から説明(少なくとも吸収率くらいは概算して説明すべし)できるはずだと思いました。一方、ゴジラのDNAの塩基配列を記した紙がまったくなんの意味かわからなかったものが結局は折り紙を利用したもので折り紙にして立体的にみると解決したというのはあまりに文化系的なご都合主義的な仕掛けでわたしのような理科系医学系人間がみると「はーーそうですか・・糞ですなあ」とというゲンナリとした感想しかもてないのでした。
ここまで言うのは、つまりそれ以外の政府や自衛隊の対応が物凄くリアルで、これは事前に各省庁や自衛隊にゴジラ出現に対するシミュレーションの関するアンケートを送り、それへの回答から作成されたものであるということですからどうせならそのシミュレーションはあらゆる細部にまで徹底しておいてほしかったというのがわたしの贅沢な不満なわけです。
CGは素晴らしく、なかでも俯瞰の映像が多かったというのがその原因です。この映画には個人の視点がほぼないことと同期するように俯瞰映像が多用されています。
そして、ゴジラの熱線による東京の大破壊!なんて美しい光景でしょう!
この時のゴジラは使徒と巨神兵が融合したなにものかになっていました。まさに庵野のみが創造できるsomethingです。
「シン・ゴジラ」は「まんまエヴァやん」という感想も聞きます。
そういえばそうですが、まんまエヴァではありません。敢えていうなら庵野そのものです。
庵野監督がこれまでの自分の人生のすべてを注入してつくりあげたものがこの「シン・ゴジラ」ではないでしょうか。 エヴァネタでいうと綾波とアスカに相当するキャラがしっかりと出てきます。石原さとみの役がアスカで、市川実日子の役が綾波です。シンジは敢えていうなら大杉漣がやった首相がそうなるのでしょう(途中で抹殺されますが)。ゴジラは言うまでもなく「使徒」です。それに巨神兵が加わっています。「エヴァのいないエヴァンゲリオン」というのが「シン・ゴジラ」なのかもしれません。

カヨコ・アン・パタースン(石原さとみ) 
米国大統領特使。日本人の祖母をもち、英語と日本語のバイリンガル。父親は上院議員。

 
尾頭ヒロミ(市川実日子) 
巨災対のメンバー。環境省自然環境局野生生物課長補佐、立川への移管後は課長代理。
ともかく、ともかく、これでようやくハリウッドを超える日本SF映画が誕生したのです。SFというには語弊があるかもしれませんが、とにかくわたしが待ちに待った、そして可能になると思えなかったハリウッド、いや欧米SF映画を凌駕する邦画SFに立ち会えることができたのです。「シン・ゴジラ」は世界で公開されることが決まっています。「AKIRA」や「攻殻機動隊」、ジブリシリーズが日本のオタク文化の表象として世界を席巻したように漸く日本製SF映画がオタク文化の最先端として世界を驚かせるということに、わたしは単純にもバンザイ!と声をあげてしまいたいのです。
とまで書きながら最後にもう一つ不満点。
やはり最後はゴジラが再び再生しだし、それは即ち国連との約束事項で即東京熱核攻撃となり東京に核爆弾が投下され、巨大なキノコ雲が舞い上がるという映像で終わって欲しかったです。その方がより現実的であり、ゴジラの出自からするとそういう終焉の方がよりリーズナブルと思われます。それではあまりに絶望的というならその後の東京の廃墟を目の前にして主人公の官僚たちが、ここからまた日本は再生していく覚悟を述べればいいだけのことと思われます。あるいは、続編があるならそれはゴジラ再生とともに核爆弾投下により荒廃した東京(それはまるで「AKIRA」もネオ東京に違いない)から場面はスタートし、核爆弾によって世界に飛散したゴジラ細胞によるゴジラと世界つまり国連軍の壮絶な戦いを描くことになると思います。そのためにはハリウッドの血と庵野の血が交じり合わないといけないことになります。
庵野、がんばれ!
その前に、「シン・エヴァンゲリオン」を完成させてくださいね。

2016年7月21日木曜日

BABYMETAL with Judas Priest

ジューダス・プリースト (Judas Priest) は、1969年にイギリスで結成されたヘヴィメタルバンド。
ボーカルのロブ・ハルフォードは「メタル・ゴッド」という愛称で知られ、
ハードロック/ヘヴィメタル、スピードメタルシーンの尊敬を集める重鎮のひとりである。

昨年6月にイギリスのダウンロードフェスでドラゴンフォースとのコラボによりドラゴンフォースをバックにギブ・ミー・チョコレートを演じたベビメタ。続いて、メタルハマーの授賞式で、同じくドラゴンフォースとともにギブ・ミー・チョコレートとロード・オブ・レジスタンスを演じたベビメタ。他のメタルバンドとの共演はこうして幕が開き、今後はどのようなバンドとのコラボがあるのか楽しみであったのですが、今年はなんとあのジューダス・プリーストのロブ・ハルフォードとの共演が米国のAPM awardで実現しました。
ジューダスといえば要するにメタルというジャンルを創った人たちですよ。
わたしはジューダスがデビューした頃から気に入っており、当時は伊藤政則がジューダスを一押ししており彼の書くライナーノーツはまさに神懸っていました。わたしが最も何回も聴いた彼らのアルバムは「Sin after sin」です。高校生の頃、こればっかり聴いていた時期がありました。特に気に入っていたのはアルバムの最後の2曲です。今、久しぶりに聴いてもやはりすばらしい2曲です。これは2曲繋いで聴かなければ意味がないのです。下に貼りましたが、2曲を繋げて聴ける動画がなんとかひとつありましたが音が小さいので大音量で聴いてください!


いやあ~、素晴らしいなあああああ!
このアルバムは1977年発売で、80年以降にジューダスはヘビーメタルへと傾斜していくのです。つまりこの頃はまだいわゆるハードロックの時代なのです。で、わたしはヘビメタのジューダスよりハードロックのジューダスの方が好きなのです(笑)。
まあそれはそれとして、とにかくこのジューダスのボーカルを担ってきたロブ・ハルフォードとベビメタが共演したわけです。それもロブがベビメタの曲に参加するのではなく(ドラフォとの共演はドラフォがベビメタの曲を演奏するという形でした)、ベビメタがジューダスの曲を演奏し(もちろん神バンドが演奏するのですが)、Su-metalとロブがいっしょに歌うというなんとも驚異的な共演が観られたのです。
凄すぎる・・・・。
「Pain Killer」でのSu-metalのスクリームはロブを凌駕してました。この瞬間、Su-metalはメタルの女王になったような気がします。
これだけでもまさに驚愕だったのに「Pain Killer」に続く「Breaking the law」では、なんということでしょう!Yui metalとMoa metalがspecial guitaristとしてSu-metalより紹介されESP mini arrowモデルを手にした二人がギター演奏を始めたのでした!
すげーーーーーーーーーーー!
半分エアーギターのようでしたがそんなことは気になりません。
ともかくYuiとMoaがツインギターさながらギターを手にして、あのIDZのPVを再現するようなエアー演奏をしてくれたこと、そして、そのバックで歌うのはなんとあのジューダスのロブとSu-metalであるという事実。
こんな光景を目の当たりにするともうなんというか・・・絶句です。
さすがに涙までは出てきませんでしたが、涙したメタルファンも多いことでしょう。
神バンドの演奏は完璧でした。大村さんと藤岡さんがYuiとMoaといっしょにギターを演奏する様は今後の彼らのステージでも取り入れてほしいような気がします。
こんな演出をしてしまうKoba metalには本当に参ったの一言です。
ともかくありがとう、ベビメタ、そしてロブ・ハルフォード
まさに伝説が生まれました!
最後にこの模様の動画を貼っておきます。
さてさて、次のコラボは日本でX Japanのヨシキとかではないでしょうか?
いや、それを望みます!



2016年6月30日木曜日

Luca-metal with BABYMETAL

ルカメタルは、スウェーデンのメタルバンドSeventh Dimensionのリードギタリスト(だった?) 
BABYMETAL Fan Club の管理人

ベビメタをめぐる面白人物たちというのはいろいろおられるわけですが、そのなかでも傑出しているのが、このルカメタルだと思います。もう一人、「23年さん」というのもいて、この人の名前の由来は一昨年末にNHKで放映されたベビメタの特別番組のなかでベビメタのロンドンライブに並んでいる際にインタビューされた外人さんの一人なのですが、「俺は23年間、ヘビメタを聴いてきたわけだが・・・」という話とともにベビメタを礼賛するその姿からこう呼ばれています。
で、ルカメタルはグローバルに活躍するBABYMETAL Fan Clubの管理人であり、YouTubeにスウェーデンの仲間たちとのベビメタライブ道中記みたいなものをずっと upしていることからベビメタ界隈では超有名人となっています。日本にも何度か来たようで(もちろんベビメタ関連で)、ついには今年から日本に居住することになるそうです。なんというか・・・ここまで熱狂するとは素晴らしいです。
本当はもっとルカメタルのことを書きたいのですが、時間がない・・・・。
なんとか6月のブログ更新をしなければということで、ここはずっと暖めてきたルカメタルの話になったのですが、書いていく時間がないという・・・ごめん、ルカメタル・・。
とりあえずかれのバンド、Seventh Dimensionの動画とベビメタのロンドンライブの道中vlogを貼っておきます。
あーー、なんとかブログ更新できた・・・ほっ・・・。




2016年5月31日火曜日

かって、バイオリンの神がBABYMETALにいた・・。


 MIZは日本のバイオリニスト。3歳からバイオリンを始める。
『EXILE』『D-LITE』『神田沙也加』『影山ヒロノブ』『ゴールデンボンバー』『ライチ☆光クラブ』などの楽曲に参加し、レコーディングも担当。華やかなルックスと型にはまらない演奏パフォーマンスが特徴。
クラシック以外にもロック、ポップス、ボーカロイド、ゲームミュージックなど演奏の範囲は広く、
ニコニコ動画「演奏してみた」など、演奏動画のYoutube再生回数は合計220万再生を超える。

今回はヘビメタとバイオリンについて書くわけですが、なぜそう思ったのかというとジョギングする際にわたしはiPod shuffleで音楽を聴いているわけですが、ある日、初聴の素晴らしい曲が流れてきたのです。こ、これは・・・なんじゃあああーー!と驚いてその曲をチェックするとNe Obliviscarisというオーストラリアのプログレッシブ・メタルバンドでした。iPodに入れているのですから自分は既聴のはずですが、まったく記憶にない・・。それゆえに愕然としたというのもありますorz
ともかくこのバンド、バイオリンをフィーチャーしておりまさにプログレメタルという感じでわたし好みの楽曲ばかりでした。アルバムも2枚購入しているのに記憶にない・・・本当に情けない限りですorz
とにかくこのNe Obliviscarisのライブ動画を貼っておきます。気に入った方はぜひiTunesでアルバムを購入してください。全曲素晴らしいです!!


で、ヘビメタでバイオリンをフィーチャーしたバンドってあるかなあと自分の記憶を思い巡らせたところ、ヘビメタではなくてプログレッシブ・ロックでわたしのお気に入りのバンドがありました。イタリアのニュー・トロルスというバンドで、アルバムは70年代にユーロ・ロック・コレクションという形で発売されたものを購入して聴き倒した記憶があります。特に聴き倒したのが下に貼った曲です。


懐かしいと同時に今でもまったく色褪せていないその楽曲の質の高さにただただ驚愕するばかりです。
で、他になかったかなあ・・と、たとえばジャンミシェールジャールなどはエレクトロバイオリンという感じですのでかなり違う感じになりますが、メタルあるいはハードロックではやはり米国のカンサスが一番記憶に残っています。そうです、このカンサス、わたしの初ライブ体験のバンドです。一番バイオリンが目立った曲を下に貼っておきますが、もっと素晴らしくハードな曲がありますので興味があればそちらもどうぞ聴いて下さい。


で、ここからが本題で、それではベビメタはどうか、つまり、ベビメタとバイオリンはどうかというと実は2013年の一連のライブ「五月革命」では、バイオリンの神が登場し、ショパンの「革命のエチュード」をメタルアレンジして演奏しているのです。


当時のBOHさんのツイッターです。
この「五月革命」で本格的に神バンドが登場し、ライブでベビメタの3娘と神バンドの融合がはかられていったのです。まさに現在のベビメタの原型が完成する革命的ライブ修行だったのです。このライブのなかで、ベビメタの楽曲の途中、まさにベビメタ3娘に休憩時間を与えるために登場するのがバイオリンの神だったのです。残念ながらこの「革命のエチュード」の音源は残っていないような・・・どこかにあるのかなあ・・・聴きたいのですが・・・どなたか知っていましたら教えてください。
で、このバイオリンの神の正体は、MIZさんなのです。
またいつかベビメタのライブステージにバイオリンの神として舞い戻って来られんことを祈念します。
なんとか今月エントリーできました。乙。


2016年4月21日木曜日

BABYMETAL VS Perfume

Perfume(パフューム)は、日本の女性3人組テクノポップユニット。アミューズ所属。

以前に同様のタイトルで、BABYMETAL VS AKB48というのをやったのだが、まったく勝負にならず、AKBなどという文字を書いてしまっただけで反吐が出るような気分を味わったのであるが、今回はそれに懲りずに、VS Perfumeである。
しかし、さすがにPerfumeは、明らかにAKBとは違うのである。
格が違うし、ものが違うし、洗練度が違うし、芸術性が違うし、知性が違うし、根性が違うし、いやはやなにもかにも糞豚AKB(ああっ、文字にするだけで反吐が出る)とは違うのである。
しかも、そもそもPerfumeがいなければBABYMETALは存在しなかったのである。これはベビメタのプロデューサーであるKOBA-METALが以前に述べている。同じアミューズで、Perfumeがテクノとアイドルの融合で成功したのをみて、KOBA-METALは、アイドルとメタルの融合を思いついたのである。
つまり、BABYMETALの生存必要条件はPerfumeなのである。
であるから、この両者を比べるとどうしてもPerfumeの勝ちということになる。
ただこの2つのグループの違いをみてみると、Perfumeが中田ヤスタカというひとりの楽曲製作者にたよっているのに、ベビメタは様々なアーティストがその楽曲制作に携わっている。その分、音楽の振り幅が大きくなっている。それがベビメタのPerfumeに対する利点といえるような気がする。そして、今後も様々なアーティストを取り入れることによりその楽曲の質は高いものを維持できるのではないかと思われる。反対にPerfumeは中田ヤスタカと心中しなければいけない運命にあるのかもしれない。
しかし、中田ヤスタカもその才能はなかなか枯れずに、今回のニューアルバム「Cosmic Explorer」は前作「LEVE3」を超えているような気がする(前回のエントリーで、iTunesで購入できないようなことを書きましたが数日遅れで購入可能となりました。あしからず)。「Flash」は久々の快作で、「Edge」には全然及ばないが、それでもそれに次ぐベスト作品のような気がする(ちなみに次点は「エレクトロ・ワールド」。だからトップにその画像を貼りました)。そもそもこの「Flash」の前に、三戸なつめに「8ビットボーイズ」という曲を中田ヤスタカは提供しており、これの延長に「Flash」があるような気がする(のは、わたしだけかもしれないが・・)。下に2つの曲を並べてみる。




いかがでしょうか?
また、偶然にもベビメタの新MV「KARATE」では、「Flash」と似たような空手あるいはカンフーアクションが取り入れられている。まあ、2つのグループの振付師は皆さんご存知のようにあの有名なMIKIKO-METALであるから似たような感じになるのは仕方がないかもしれない(と書いたが、Pefumeは柔、ベビメタは剛という感じで振り付けがなされ見事な差別化が図られているようです) 。ちなみに次はベビメタ「KARATE」を貼っておきます。



ベビメタの楽曲は、それぞれの制作に携わったアーティストのエッジ(最先端)を表出しているかもしれないが、Perfumeの場合はそうならないような気がする。中田ヤスタカのエッジはかれのユニットCapsuleで表出されるのである。であるからエッジに触れたければCapsuleを聴くべしであり、それ故、CapsuleのこしじまとしこさんはPerfumeの誰よりも魅力的でかわいいとわたしは思うのである。
でもまあとにかくはっきりいうとベビメタとPerfumeは姉妹の関係なのである。
もちろんPerfumeがお姉さん。ベビメタはPerfumeを見習って、息の長いアーティストとなってほしい気がする。ここまで書いてわかるように、ベビメタもPerfumeももうすでにアイドルではないのである。ドルオタは駆逐されたのである。ざまあーーーなのである。
で、現時点における両グループの最高作品を比べると(もちろん、「Edge」VS「From Dusk Till Dawn」ということになる)、それは明らかに「Edge」の勝ちなのである。
下に「Edge」の動画を貼りました。これをみると本当に芸術に触れた感じで、Perfumeを軽々しくテクノアイドルなどと呼ぶことは躊躇われるのでした。


2016年4月10日日曜日

BABYMETAL「From Dusk Till Dawn」from 「METAL RESISTANCE」


「METAL RESISTANCE」は、BABYMETALの2作目のスタジオ・アルバム。
2016年4月1日に発売された。
4月14日付けのアルバム・トップ100(全英総合アルバムチャート)で15位を記録し、1975年に発売された冨田勲のアルバム『Snowflakes Are Dancing』の17位を抜き、日本人における最高位を41年ぶりに更新した。

久々にベビメタの話題です。
4月1日にニューアルバム「メタルレジスタンス」が発売され、翌2日には英国ウェンブリー・アリーナで日本人初のライブを開催したベビメタ。その勢いはまさに飛ぶ鳥を落とすものです。
素晴らしい。
で、ウェンブリー・アリーナの公演はLV(Namba Zepp)でわたしは観たのですが、音響に一部不備があったものの公演そのものは素晴らしかったです。これが椅子に座って観れたならなおいっそう良かったのですが、ライブハウスで満員のなかずっと立ちっぱなしで観るのはしんどかったです。次回は、前回の英国公演のLVのように映画館でもやってほしいというのが希望。
ライブの細部については、「Catch me if you can」の影絵を連想させる演出が出色ものでした。


また「Amore」の天使の翼も壮大な感じで曲そのものの疾走感とうまく同期していたように思われます。このライブでのベストパフォーマンスは間違いなくこの「Amore」だと思います。Su-metalはまさに悪魔が憑依した天使でした。


で、ニューアルバム「メタルレジスタンス」の感想。
全体のできは第一作「BABYMETAL」を凌駕していると思います。
第一作は、これまで発売されてきたシングルの寄せ集めだったわけですが、今回のものはアルバムとしてトータルなものとして発表されました。 ただそこに一貫したコンセプトのようなもがあるかというとそれは疑問符が付きます。しかし、そもそもベビメタ自体がアイドルとメタルの融合というコンセプトのもとに作られたプロジェクトですから音楽的なコンセプトはなくてもいいような気もしますが、いやいや、そこには音楽的にはひとつのジャンルに固執しないという立派なコンセプトがあると思います。メタルというしばりはありますが、メタルそのものがかなり曖昧な幅広いジャンルを包括してしまうものですから基本的にはなんでもありと考えた方がいいような気がします。事実、このニューアルバムには、プログレあり、ラップあり、バイキングメタルあり、歌謡曲あり、EDMあり、シンフォニックメタルあり、いやはやなんでもありです。
で、これこそがベビメタの真髄とも言えるのです。
困ったことは、同じニューアルバムといってもいろいろなヴァージョンがあること。
The One限定盤(ファンクラブ限定もの)、日本通常盤、欧州通常盤、それから他にもあるかも(これ以上は興味なし)。
で、その違いは、The One限定盤には「The One」のunfinished versionとして英語歌詞のunpluggedのようなアカペラ調の感じの曲が含まれていること(「The One」については、日本盤は日本語歌詞、欧州盤は英語歌詞で、シンフォニックメタル調の曲となっています)、欧州盤には日本盤の「シンコペーション」の代わりに、「From Dusk Till Dawn」が挿入されていることなどです。
で、この「From Dusk Till Dawm」があまりに素晴らしい過ぎるのです。
それは譬えるなら、Perfumeの「Edge」を聴いた時に感じたあの驚愕に匹敵するものといえばわかってもらえるでしょうか?
「Edge」はアイドルソングそのものを超越してしまい、もうアイドルという枠組みは意味が無いということを宣言し、糞みたいな存在のドルオタに宣戦布告して、Perfumeからドルオタたちを一掃した記念碑的な作品であるとわたしは勝手に解釈しております。
ドルオタなんで死んでしまえばいいんだ・・・。
「Edge」を聴く度に、Perfumeの3人がいつもそう囁いているようにわたしには聴こえます。同時に中田ヤスタカがそう呟いているのも聴こえます。そして確実にPerfumeは自らの支持者の中からドルオタを駆除していたったのです。そして、それが今日に至る彼女たちの成功へと結びついているのです。というのはまあ強引な解釈ですが。
そんなPefumeのニューアルバム「Cosmic Explorer」は日本ではまだiTunesでは購入できないのです。外国ではできるのに・・・。馬鹿にしてんのか!
日本ではCDのみで購入可能です。このCDがまたいろいろな限定盤があって馬鹿みたい。まあ、ベビメタも同じ穴のムジナですが(しかし、ベビメタのニューアルバムはiTunesでも購入可能です!)。
こういう販売方法をやっている限り日本の音楽に未来はないような気がしますが。
ということで、ベビメタもPerfumeもドルオタを完全に駆除できていないのは残念極まりないのですが、こいつらを完全殲滅するためにはまずはニューアルバムは一種限定で、加えて変な付録とか付けずに、ネット配信メインですることが最重要だと思います。
で、話は元に戻って、「From Dusk Till Dawn」へ。
この曲はとにかく素晴らしいのです。
特にわたしのようなプログレが好きで、テクノが好きで、トランスが好きで、最近だとEDMが好きという人にはもうたまらない作品です。Su-metalのファルセットボイスはまさに一聴ものです。もちろん、ごりごりのメタル好きやドルオタにはこの曲は大不評だと思います。
ざまあーーーです(笑)。
そして、この曲が欧州盤に収録されたことで、欧州におけるベビメタの位置はキワモノを超えて、よりアーティスティックな方向へと修正なされたのではないでしょうか。
惜しむらくは、この曲が日本盤に収録されなかったこと。
日本盤の代わりの曲は、「シンコペーション」。これもなかなかよい曲なのですが、どうしても80年代、あるいは90年代前期のロック臭が強いということです。ですから当時十代、二十代だったおっさんにとってはとても懐かしくてのれる曲ということになるのですが、わたしにはどうもなんとなく古臭いという感じがしてしまう・・・。「Amore」も似たような路線ですが、これにはドラゴンフォースを初めとしたメロディクスピードメタルの息がかかっています。その分、古臭さがなくなっているような気がします。
それでは「メタルレジスタンス」収録曲のわたしのベスト5をあげますと(Road of Resistanceは既出なので省きます)・・・

5)Tales of The Destinies
これはゴリゴリのプログレです。イエスがあって、ELPがあって、まあいろいろなプログレバンドへのオマージュとも言えます。ありがとう、KOBA-METAL。

4)The One
シンフォニックメタルっぽい。ドリーム・シアターっぽい。The One限定盤の静かなやつが最高です。それにしてもSu-metalの英語発音はたいしたものです。

3)Sis. Anger
Black Baby Metalの曲としては最高傑作ではないでしょうか。ウェンブリー・アリーナの公演では演られませんでしたが、ぜひライブで聴きたい曲です。

2)META! メタ太郎
バイキングメタルあるいはフォークメタルを髣髴とさせる良曲。子供っぽいとかマーチングソングっぽいとか言って謗るアホたちもいるがよく聴くとそこに内在するその進取性を感じることができるはず。それがわからないやつは死ね。

1)From Dusk Till Dawn
言うまでもなく、ベビメタの最高傑作。今後、この曲は伝説となって語り継がれていくことでしょう。

以上です。で、作曲者、アレンジャーを調べるとわたしが好きな曲はやはりゆよユッペさんの曲が多い。ゆよユッペよ、ありがとう!DEATH。
可能なら「From Dusk Till Dawn」はゆよユッペのアルバムに10分バージョンくらいなもので発表してほしいなあ。
ということで、最後に「From Dusk Till Dawn」の歌詞を下に貼っておきます。これは英語ネイティブの方が耳で聴いたものを書いたものでどこまで正しいかはわかりません。

Something’s got to go….
Something’s got to go…

In the air…
Pray your way
In the air… the air…

It got better…
Don’t start slow, then…
(Something’s got to go…)
It got better…
Don’t start slow, then…
(Something’s got to go…)

Dream… sing…
Climate… the weather…
Hot… colder…
And warm… memories…

Get off my face
More day after day
And reaching to fate
So instincts so faint
I’ll wake from the dream
To keep and relive
‘Cause life it is a dream
And dream’s on a BREAK ←この「BREAK」が超絶にカッコいい!!

While it’s over
Never ever
While it’s over
Never ever

In the air…
In the air…

2016年3月27日日曜日

久々の大相撲観戦

 大相撲春場所千秋楽@大阪府立体育館

今日は久しぶりに大相撲観戦に行ってきました。
これまで大相撲は2回観戦したことがあり、 いずれも春場所つまり大阪府立体育館で開催されたものでしたが、今回もその春場所でした。3回ともに知人がマス席をとってくれておりわたしはそのおこぼれにあずかったという感じです。スポーツはどのスポーツでもそうでしょうがライブで観るのが一番です。そして、大相撲のライブは本当に臨場感があり、また会場内で本物の力士を目の前の観ることができたりしますのでお勧めです。
しかし、このマス席をとるのはいまだになかなか厄介なようで、このあたりをもうちょっとなんとかしてくれればいいのになあとは思いますが、昔に比べるとかなりとりやすくなったようです。
初めての観戦は20年前くらいだと思います。2回目が15年くらい前。
今回は初めて裏正面の席でTVに映ってしまう席でした。まあそれはそれで面白かったような。
千秋楽の横綱対決はあっけない結果で、館内ブーイングの嵐でした。まあそれも仕方ない。
白鵬は言い訳をしてましたが、横綱としてはみっともないの一言です。
わたしは小学生の頃からTVで相撲観戦することが好きで、相撲場所が始まると一目散に学校から帰り、その途中にアイスクリームを購入して(夏でも冬でも)、TVの前にじっと座ってアイスクリームを食べながら静かに相撲観戦をしていました。そのわたしの姿をみて、母親は不気味がっていたそうです。
小柄な力士が好きで、陸奥嵐が好きでした。それから凡庸なわたしは、初代貴ノ花の大ファンでした。北の湖は憎き敵でしたが、今思い返すと北の湖が最強の横綱だと確信しています。
ということで、3月の更新乙でした。

2016年2月22日月曜日

7周年

新しい猫。その名は「モチ」。雄のトラ猫です。もうすぐ1歳。

 今日は2月22日。つまり、猫の日です。つまりこの創作実験室が創設されてから7年経ったということです。
それだけのことです。
糞みたいなことです。

とここまでは昨年といっしょ。
今年は新たな猫がうちに加わりました。
要は捨て猫です。なぜかうちの前に意図的に捨てられた感じがします。
仕方なく拾って、大事に育ててます。
オス猫で、幼いので暴れます。
先住猫のノルウェージャンフォレストキャットの「ヒメ」をいじめます。
困ったものです。
いつか二匹が仲良くなることを祈って、今回の投稿はここまで。

2016年2月7日日曜日

小保方晴子「あの日」を読んだ

 真実を歪めたのは誰だ?STAP騒動の真相、生命科学界の内幕、業火に焼かれる人間の内面を綴った衝撃の手記
(「Book」データベースより)

 kindleで簡単に購入できたので読んだ。しかし、値段が紙と同じとはええかげんにせえよと言いたい。出版社ボロ儲けではないか。本当に多くの人に本を読んで欲しいと思うなら電子書籍で安い良書を沢山出せばいいことなのに、利益ばかり追求して、本当にまあなんというか・・・。この本もkindle版がなければ読んでいません。
その前にいちおう言っておくが、須田桃子氏「捏造の科学者」も出版された時に既に読んでいる。もちろん、これもkindleで。
小保方さんの本の内容は、今北産業で要約するなら
若山氏が怪しい。
須田さんをはじめとするマスコミはひどい。
自分は情けない限り。
となるような気がするが、そんな簡単なものでもない。 この本を読んでひとつわかったことは、小保方さんが今回の実験をすべてを掌握しているわけではなく、特にキメラマウスの制作はほぼすべて若山氏がとり行なったもので非常にナイーブ(成功率が低い、極めてテクニカルなものである)な実験であるということである。であるからこのキメラマウスの再現には若山氏はなくてはならない存在なのだが、再現実験に携わることは若山氏から拒否されているという現実があったということだ。
また、小保方さん自身はOCT4陽性を示す細胞をSTAP細胞と解釈し、それが「STAP細胞はありまーーす」に結びついているようなのだが、そしてこのOCT4陽性細胞が存在したのは事実なのであるが、それがTCR再構成やキメラマウスに至ることを再現できなかったことが最大の瑕疵となったわけである(それまでに実験データや博士論文での様々な捏造じみた瑕疵が沢山あり、それらが積もり積もって大きな疑惑へと至ったのであるが)。
この本に書かれていることがすべて真実だとはとうてい思えない。悪の烙印を押された若山氏や須田さんはこれから大変だなと同情してしまう。アマゾンレビューでもこの本を高評価する意見が多く、逆に否定する意見は少ない。多くの人が小保方さんを再評価しているような、そこまではいかなくても、これまでの全否定的な感想からもうちょっと好意的な感想へとシフトしたような気がする。
この本を小保方さんがひとりで執筆したなら小保方さんの物書きとしての実力はたいしたものである。構成といい、文章の細部といい、素晴らしい。どうみてもプロの物書き、それもノンフィクションを書き慣れている人、あるいは雑誌記者が書いたものと思われる。笹井氏が死んだことに言及した文章(笹井先生がお隠れになった・・・・)だけは、小保方さんが書いたものかもしれない。それはあまりに滑稽な修飾をまとった稚拙な文章だから(と思った)。
「あの日」に書かれていることが真実なのか、「捏造の科学者」に書かれていることが真実なのか、 それはわたしにはわからない。ただ、基礎医学および生物学の実験結果とは非常に微妙なもので、再現性が低いものも多く(現にiPS細胞でさえ当初の発現率は4%に過ぎなかった)、再現できなくてもそれは瑕疵にならないという不文律のようなものがあったような気がするし、その盲点をついて、画期的な実験結果を発表する輩もかなりいるような気がする。いうなれば生物を対象とする学問はいい加減なのである。それは生物の特徴でもあり仕方ないことのように思う。だから、臨床医学をはじめ生物対象の学問では、結局統計学に頼らざるをえなくなる。
読了後、この事件の責任をすべて小保方さんにおしつけるのはやはり無理があるように思えた。小保方さんひとりに翻弄されるほど笹井氏も若山氏もその他理研の研究者たちもバカではない。それぞれの思惑があって、それが思いもしない方向へと暴走していき、このような事件に至ってしまったような気がする。少なくとも彼ら彼女らは、自分たちが捏造記事を確信犯的に書いてもいっさい認めず謝ることさえしない捏造マスコミ記者たちよりは何千万倍も真実というものに対して真摯であると思う。かと言って、そんな捏造マスコミが真実を暴くこともあるからそれはそれで貴重な存在であることには違いない。
そんな馬鹿マスコミはiPSに対しては絶賛の記事しか書かない。
馬鹿じゃねえの・・・。
iPS細胞由来網膜色素上皮細胞シート移植第一例目が大成功!だって。
馬鹿じゃねえの・・・・。
iPSの合併症が出なかったことが証明された!
そりゃそうだけどそのための人体実験(もちろん安全性の高い)に過ぎないじゃん。
視機能は改善したのか?するわけねえだろうが・・・馬鹿じゃねえの・・・。
以前、iPS細胞由来網膜色素上皮細胞移植に関して否定的な文章をupしたところ推進派からクレームをいただいた。自分たちのやることに自信があるならこんなチンケなブログの文章ぐらいにいちいち反応するなボケ!と思ったが、教えられた2chの生物板をみるとそこにはこの移植プロジェクトに関する有象無象の罵詈雑言が書かれておりまさに「やれやれ」状態であった。であるからわたしはそんなものの一員になりたくなかったので推進派のクレームに応える形でupした文章を削除した。推進派が正しいのか否定派が正しいのかはわからない。わたしは否定派で、それは確信に近いものがあるが、科学的な根拠はない。ただ、全体主義的な感じで、iPSバンザイというマスコミの姿には気持ち悪いものを感じるし、それをうまく利用している推進派にもいかがわしさを感じる。そして、いつiPSが次のSTAP細胞になって、マスゴミによって奈落の底に落とされるか、その時はわたしはiPSの応援をしたいと思う。これは単なる天邪鬼にすぎないし、それがわたしの本質なのかもしれない。



2016年1月31日日曜日

モナドと多崎つくる

 筒井康隆氏が昨年後半に発表した「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長編」と謳った作品。

年始の暇な時に、ふたつの小説を読んだ。
ひとつは筒井康隆氏の「モナドの領域」で、もうひとつは村上春樹氏の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」。
「モナドの領域」は新潮編集長矢野さん絶賛の作品でその惹句も凄いのでこれを読まずしてどうしようという感じでわざわざ書店までいって購入した。ただ、この書店(いわゆる大型チェーン書店)にいった際に、文芸書の棚の少なさと反対にラノベの豊富さに唖然としてしまった。今やラノベの方が多数派なのである。
で、多崎つくるはkindleで購入できるようになったのでついつい購入してしまった。わざわざ書店まで行く必要がないのでkindleはとても便利だし、本棚の場所も占拠しないし、紙も使わないので地球環境にも優しい(笑)。
まずは「モナドの領域」。確かに筒井康隆氏のこれまでの作品の総集編という感じがしないでもない。過去の様々な作品の断片を見つけることができ、これは筒井康隆マニアにはたまらないような気がする。わたしは筒井氏のファンだが、マニアではない。そんなわたしでもわかるのでマニアにはたまらないであろうことは容易に想像できる。ただ、話の中頃あたりから語り始められる唯野教授的な内容はわたしには退屈で仕方なかった。でもそれが終わると最後まではさすが筒井康隆!といわんばかりの構成で感心したし、読了後には満足感を得られた。正確には長編ではなく、中編である。筒井氏の最高傑作かというとちょっと疑問符が付く。なぜなら実験小説家としての筒井康隆氏を賞賛するわたしとしては筒井氏の最後の最高傑作はとんでもない実験小説であると思うからである。わたしが読んだ限りでは「モナドの領域」には実験的な要素は少なかったように思う。そんなことはないのかもしれないがそうならそれはわたしに読む力がなかっただけのことかもしれない。わたしには「モナドの領域」は筒井氏の遺書代わりの総まとめのようなものに思え、それでも今後はとんでもない実験的短編を発表して、読者の度肝を抜いてくれるのであろうことを期待している。
で、多崎つくるは、滅茶苦茶面白かった。というかとても上手い、超絶に上手い小説だなあといつもながら村上春樹氏の作品を読む度に感じるものを今回も感じた。わたしは村上春樹氏のファンではないが、どちらかというと好きな作家であり、新作が発表されるとすぐに購入して読むということは決してないが、5年から10年後くらいに密やかに読むということを常としている。「風の歌を聴け」では、文中のTシャツの絵にちょっとびっくりしてこれいいなあと思ったが、「ノルウェーの森」の食事の描写の多さには辟易したし、かといって「神の子どもたちはみな踊る」は超絶上手いと思い、自分が少しでもこんなに上手く書けるようになればなと思ったがそうなると自分の価値なんて無になるし、そういうふうに思って作家を目指す村上春樹モドキ小説家志望者どもと同じ穴のムジナになってしまうと自戒したりもしたが、「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んでランナー村上春樹氏には足元にも及べないわと感嘆したりもした。
多崎つくるがあまりにも面白かったので、興味本位にアマゾンレビューなどを読んだが、結論がないとか有耶無耶しているとかで否定的な人が結構いて、びっくりした。なんとなく推理もの仕立ても構成だから推理小説好きの人が読むとその結論のなさに憤慨してしまうのかもしれないが、結論(というのはすべて凡庸であるとわたしは思っている)を期待する人は推理小説を読めばいいのであって村上作品など手にするのは大間違いなのである。村上春樹氏の作品は解釈を読者に委ねるのであって、読者が読者なりに考えなければいけない。そこがいいとこなんだろうと思うし、そうだからわたしは村上春樹氏がどちらかというと好きなのであるし、推理小説とかサスペンスとかそういった類のものにあまり興味がないのもそういうところからかもしれない。
ということで、なんとか1月に更新できました。乙!