2016年10月30日日曜日

菊とギロチン

関東大震災後の混沌の中で、様々な大衆文化が花開くと同時に軍事国家への道をひた走る
大正時代末期の日本が舞台。
当時農村を中心に活況を呈していた、「女相撲興行」の力士たちと、
格差のない理想世界を夢見る若きアナキストたちの出会いを軸に、庶民たちの荒々しくも猥雑なパワーを、
ロマンスあり、活劇あり、社会風刺ありで描く骨太エンターテインメント。

学生の頃からもしある程度の財を成したなら老後は映画館を経営して、自分の好きな映画ばかりを上映したいなあという凡庸な夢を描いていたのですが、ここまでインターネットが発達し、映画そのものをビデオやDVDを所有して観るのではなく、クラウドのなかから好きなものをその時に選択して観るという映画の観方がおそらく今後の趨勢になると思われる現状からは、老後に映画館を経営するという夢は儚くも散ってしまうべき程度のものなのですが、それでもなんとか映画文化のその一端に自分がなにか協力できることがあればとなんとなく思っていた昨今、瀬々監督が「菊とギロチン」という新作を撮るにあたって出資者を募集しているという情報を瀬々監督のツイッターで知り、「菊とギロチン」のHPをみて、この作品の内容を知ったところで無性にこの作品へ出資したくなって、結局出資してしまいました(出資額は内緒)。
瀬々監督については以前のエントリー(こちら)で触れています。
出資する旨をメールしたところ、大変喜んでもらい、その前に、一度プロデューサーと会って話をすることになりました。出資するのに面談があるのかとちょっとびっくりしましたが金を出す人は誰でもOKというわけではないよというその姿勢には好感がもてました。プロデューサーが京都に所用で来る機会に会うことになり、わたしが指定した北白川のカフェで今年の6月頃に会いました。そこには、驚いたことに瀬々監督自身も来られていました。
「ようっ、久しぶり」
そんな感じで、雑談が始まりました。瀬々監督とプロデューサー、それに京都のプロデューサーみたいな方(京大西部講堂の運営責任者でもあるらしい)ととりとめもない話をしました。楽しかったです。別に出資する理由を訊かれるわけでもなく、本当に映画に纏わる、そして眼の病気に纏わる話(わたしが眼科医ということは知らせていたので)をゆるーい感じで話しました。
その頃に上映していた「64」という作品の監督が瀬々だということを知り、瀬々監督からは無料チケットをいただきましたが、結局観に行くことはできませんでした。
瀬々、ごめん。
「64」は前後編ともにかなりヒットしたのですが、売上による歩合制の契約ではなかったということで、いくらヒットしても瀬々監督の懐が豊かになるわけではないことを教えていただき、なんというかちょっと悲哀のようなものを感じました(笑)。
雑談の終りに、わたしが「ヘブンズストーリー」の山崎ハコと「リップヴァンウィンクルの花嫁」のCOCCOが似ていると話したところ、瀬々監督は「ふーん」となんとなく同意するようなそうでもないような返事をし、すぐに「リップヴァンウィンクル、面白かっただろ?」と訊いてきたので、「もちろん」とわたしは即答したのをなぜか覚えています。しかし、今考えると「もちろん」という程には「リップヴァンウィンクルの花嫁」が面白いわけではなかったのでどうして「もちろん」と即答してしまったのか不思議に思っています。
「菊とギロチン」は現在、京都と滋賀で撮影中です。撮影見学の案内なども来ましたが、残念ながら行く暇はありませんでした。しかし、ともかくこの「菊とギロチン」には期待しています。もちろん、瀬々のこれまでの作品群のわたしなりの評価からわたしの期待が見事に裏切られる可能性が高いことも予想しています(笑)。
「菊とギロチン」の女相撲をみて、わたしがまず第一に思い浮かべたのは寺山修司の「大山デブ子の一生」です。瀬々が寺山的なものを創るとは有り得ないことですし、瀬々監督本人も拒否するでしょうが、なんとなく期待してしまいます。
この作品には大杉栄が登場しますが、その時、瀬々監督に誰が大杉栄を演るのかと訊いたところ、作品内には大杉栄自身は登場しないようなことを言われました。もし登場するならわたしは大杉栄役に三上博史を推薦したかったのですが、結局それを伝えることはできませんでした。
三上博史の大杉栄、観てみたいと思いませんか?