『シン・ゴジラ』(英題: GODZILLA Resurgence)は、
2016年(平成28年)7月29日公開の日本映画で、ゴジラシリーズの第29作である。
『ゴジラ FINAL WARS』以来約12年ぶりの日本製作のゴジラシリーズとなる。総監督・脚本は庵野秀明。
「シン・ゴジラ」を観てきました。
以降ネタバレ満載ですのでご注意を。
昨年の5月のエントリーでゴジラについて言及しているのですが (こちら)、そこでも不安要素しかなく、加えて、その後に、樋口監督による「進撃の巨人」のその糞っぷりに驚愕し、しかもその糞映画に出演していた石原さとみと長谷川博己が「シン・ゴジラ」の主演と知り(「進撃の巨人」の石原さとみは出演者のなかで一番よかったのですが)、これはダメかもしれんね・・と思いはじめていたのですが、いよいよの公開と同時に聞こえてきたのは絶賛の嵐!
なになにそんなに面白いのかあ???と疑いつつも、少なくともゴジラは着ぐるみではなくてきちんとCGでつくられており、しかもドラマはなく、現代日本にゴジラが出現したシミュレーション映画であると聞き、それはもう絶対観なくてはいけないと思い、観てきました。
で、感想は、いやあ〜〜〜滅茶苦茶面白かったです。
映画をみて、こんなにまたすぐに観たいと思ったのは久しぶりです。
こんな感動は、あの名作「GRAVITY(邦題「ゼロ・グラビティ」」以来です。邦画でいうと園子温の「愛のむきだし」以来かなあ・・・。でもこの2作よりももっとなんというか凄いものをみてしまった感があるような・・・いやいや「グラビティ」も凄かったしなあ・・・この「シン・ゴジラ」と「グラビティ」に共通するのは、どちらもほぼドラマがない、糞みたいな物語がないということです。これはとても重要なことなのです。今や、人間が考えるドラマなど糞以外のなにものでもないのです。それを特に意識したのは、この「シン・ゴジラ」が一部影響されていると考えられる3.11東北大震災です。あの時、なによりわたしを感銘させたのは一般の人々がスマホやビデオで撮影し、ネットに投稿されたなんの編集も受けていない震災の模様を写した動画群でした。そこには現場にいるもののみが発することができる冗談のような感慨(「うそおーん」とか「やべえ、おれの車があーー」とか悲壮感のない率直な声が聴こえた)があり、それらを前にするとマスコミや放送局が脚色して報じるものはすべて嘘のようなものにしか映らなかったというのは わたしだけが感じたことではないように思えます。
ドラマ・物語は死んだのか?
これはかなり昔から繰り返し言われてきたことですし、それでもなお新たな物語は生み出されており、また同じような物語が単純再生産されているというのが現実です。ですからドラマ・物語そのものを全否定するものではありませんが、物語そのものが成立しにくくなっているのは確かだと思います。
とにかく、「シン・ゴジラ」には家族愛や人類愛や恋愛などを絡ませんるという糞ショウモナイドラマは一切ありません。
あるのはゴジラの出現とそれに対応する日本政府のみです。
実は、この一点に少し不満があります。つまり、3.11でもっともリアルと感じたものが一般の人の投稿したネット動画であり、また庵野監督は手持ちカメラでの撮影は特技にしている風でもあるのですから市井の人が迫り来るゴジラを撮影しネットに投稿した動画というものを映画のなかに幾つか挿入すればよりリアル度があがったように思えます(まあ、ツイッター等のSNSの描写やニコ動の映像はあったのですが)。
もう一つ不満点をあげると、それはヤシオリ作戦(これはエヴァのヤシマ作戦へのオマージュ)の詳細をもうちょっと解説した方がよかったのではないかということ。映像だけをみるとヤシオリ作戦は結構ご都合主義的に見えてしまいます。あれはそうではなくて綿密に計算されシミュレートしたものであることを実際の作戦会議の時に簡単にでも解説した方がよかったのでないでしょうか(つまり、ゴジラの体内核燃料をすべて排出させるためにどれほどの米国の無人機の攻撃が必要で、その後のゴジラを横転させるためのビルの破壊、そのためのターゲットなるビルの選定、ミサイルの刺入角度、その爆撃容量、横転するゴジラの位置シミュレートと凝固促進剤の注入重機の配置シミュレーション、爆撃機としての在来線車両の利用の意味、その爆撃能力の概算とその突撃によるゴジラの影響、第二次攻撃によるゴジラの転倒位置シミュレートなどは事前に映像で簡単に説明してくれると実際の攻撃場面で場当たり的なものに見えず、それぞれの攻撃がすべて理に適っているようにみえるはずですし、実際にこれらは脚本段階で庵野監督ならやっていることだと思われます)。
最後にもう一つ不満点をあげるなら(すいません、不満ばかりで。でもこれは贅沢な不満であることをご了承ください)、ゴジラの生物学的考察が不十分であること。静止時のゴジラがいればもっといろいろと生物学的精査が行えたはずですし、それらの描写をすべしであり、その際に血液凝固促進剤の口腔粘膜からの注入というヤシオリ作戦の妥当性を生物学的見地から説明(少なくとも吸収率くらいは概算して説明すべし)できるはずだと思いました。一方、ゴジラのDNAの塩基配列を記した紙がまったくなんの意味かわからなかったものが結局は折り紙を利用したもので折り紙にして立体的にみると解決したというのはあまりに文化系的なご都合主義的な仕掛けでわたしのような理科系医学系人間がみると「はーーそうですか・・糞ですなあ」とというゲンナリとした感想しかもてないのでした。
ここまで言うのは、つまりそれ以外の政府や自衛隊の対応が物凄くリアルで、これは事前に各省庁や自衛隊にゴジラ出現に対するシミュレーションの関するアンケートを送り、それへの回答から作成されたものであるということですからどうせならそのシミュレーションはあらゆる細部にまで徹底しておいてほしかったというのがわたしの贅沢な不満なわけです。
CGは素晴らしく、なかでも俯瞰の映像が多かったというのがその原因です。この映画には個人の視点がほぼないことと同期するように俯瞰映像が多用されています。
そして、ゴジラの熱線による東京の大破壊!なんて美しい光景でしょう!
この時のゴジラは使徒と巨神兵が融合したなにものかになっていました。まさに庵野のみが創造できるsomethingです。
「シン・ゴジラ」は「まんまエヴァやん」という感想も聞きます。
そういえばそうですが、まんまエヴァではありません。敢えていうなら庵野そのものです。
庵野監督がこれまでの自分の人生のすべてを注入してつくりあげたものがこの「シン・ゴジラ」ではないでしょうか。 エヴァネタでいうと綾波とアスカに相当するキャラがしっかりと出てきます。石原さとみの役がアスカで、市川実日子の役が綾波です。シンジは敢えていうなら大杉漣がやった首相がそうなるのでしょう(途中で抹殺されますが)。ゴジラは言うまでもなく「使徒」です。それに巨神兵が加わっています。「エヴァのいないエヴァンゲリオン」というのが「シン・ゴジラ」なのかもしれません。
カヨコ・アン・パタースン(石原さとみ)
米国大統領特使。日本人の祖母をもち、英語と日本語のバイリンガル。父親は上院議員。
尾頭ヒロミ(市川実日子)
巨災対のメンバー。環境省自然環境局野生生物課長補佐、立川への移管後は課長代理。
- ともかく、ともかく、これでようやくハリウッドを超える日本SF映画が誕生したのです。SFというには語弊があるかもしれませんが、とにかくわたしが待ちに待った、そして可能になると思えなかったハリウッド、いや欧米SF映画を凌駕する邦画SFに立ち会えることができたのです。「シン・ゴジラ」は世界で公開されることが決まっています。「AKIRA」や「攻殻機動隊」、ジブリシリーズが日本のオタク文化の表象として世界を席巻したように漸く日本製SF映画がオタク文化の最先端として世界を驚かせるということに、わたしは単純にもバンザイ!と声をあげてしまいたいのです。
- とまで書きながら最後にもう一つ不満点。
- やはり最後はゴジラが再び再生しだし、それは即ち国連との約束事項で即東京熱核攻撃となり東京に核爆弾が投下され、巨大なキノコ雲が舞い上がるという映像で終わって欲しかったです。その方がより現実的であり、ゴジラの出自からするとそういう終焉の方がよりリーズナブルと思われます。それではあまりに絶望的というならその後の東京の廃墟を目の前にして主人公の官僚たちが、ここからまた日本は再生していく覚悟を述べればいいだけのことと思われます。あるいは、続編があるならそれはゴジラ再生とともに核爆弾投下により荒廃した東京(それはまるで「AKIRA」もネオ東京に違いない)から場面はスタートし、核爆弾によって世界に飛散したゴジラ細胞によるゴジラと世界つまり国連軍の壮絶な戦いを描くことになると思います。そのためにはハリウッドの血と庵野の血が交じり合わないといけないことになります。
- 庵野、がんばれ!
- その前に、「シン・エヴァンゲリオン」を完成させてくださいね。