2018年2月22日木曜日

9周年


我が家の猫。ヒメ(手前)とモチ。


今日は2月22日。つまり、猫の日です。つまりこの創作実験室が創設されてから9
年経ったということです。
それだけのことです。
糞みたいなことです。

とここまでは昨年といっしょ。
で、例年はあまり書くこともなくお茶を濁して終わるのですが、今回は2月に2回もエントリーしているのでやはり書くことなし。
ということで、これでおしまいです。
来年はいよいよ10年か・・・。

2018年2月13日火曜日

「菊とギロチン」を観た。


ギロチン社
中濱鐵(東出昌大)、古田大次郎(佐藤寛一郎)らによって1922年に結成されたテロリストの結社。
1921年,古田は農民組織化のため小作人社をつくるが成果なく,テロリズムに訴えることを決意,中浜も同調した。翌年6月同社解散後,ギロチン社を結成。22~24年にかけ,訪日中のイギリス皇太子のテロル計画以後,一連の襲撃事件を起こすがいずれも失敗した。とくに,古田があやまって第十五銀行員を刺殺した小坂事件(23年10月),殺された大杉栄の復讐をねらう和田久太郎,村木源次郎と古田らによる福田雅太郎大将狙撃事件(24年9月)は警察の警戒を強めた。


以前のエントリー(こちら)で紹介したわたしが出資した映画「菊とギロチン」がようやく完成して、その初号試写に行ってきました。
平成16年秋に撮影は終了し、編集および追加資金集めなどで完成が今まで延びてしまったようです。一般公開は今年夏の予定ということ。
試写会場は京都松竹撮影所ということで、京都は太秦の帷子ノ辻駅近くにあるということで行きましたが、昔々、その近くの京都大映撮影所で寺山修司主催天井桟敷の「奴婢訓」凱旋公演を観に行った記憶があったので同じ場所かと思いましたが、実際はちょっと離れていました(これはグーグルで調べてわかったことですが)。
懐かしい思いの帷子ノ辻駅からすぐに京都松竹撮影所はあり、受付で試写の件を伝えると入館証のようなものをくれ、試写会場はすぐそこであることを教えてくれました。
入口からすぐの建物が試写会場で、試写会場といってもそこは普通の映画館のような感じでした。試写会場入口には瀬々監督がおり、わたしが挨拶すると「ようやく完成しました」と声をかけていただきました。
試写会場に入るとすでに多くの方が座っておりわたしは真ん中より前の最前から4番目くらいの前方の一番右端に座りました。周りに誰もいないというのがわたしにとってベストのポジションなのです。
試写が始まる前にプロデューサー?の短い挨拶があり、瀬々監督は前から3番目の前方真ん中の席で試写を観てました。
映画が始まり、上映時間は189分。かなり長い上映時間でしたが、その長さはまったく感じませんでした。「ヘブンズストーリー」の時に感じた後半の冗長さは今回はまったく感じませんでした。
ここで一言言っておきますが、自分が出資したということでその作品の評価になんらかのバイアスがかかるという人間ではわたしは決してありません。それに瀬々監督に対してそこまで思い入れもありません。どちらかというとちゃんとした作品をつくってくれるかどうか疑いの目をもっています。それはこれまでのわたしの瀬々に対する言説を読めばわかると思います(こちらも参照)。
で、面白かったのか?
面白かったのは言うまでもありません。わたしの個人的感想では、これは瀬々監督のベスト作品です。「ヘブンズストーリー」も越えています。
なぜか?
それはこの作品には映画の神が舞い降りた一瞬のシーンがあるのです。
正確には一瞬ではありません。5分くらいのシーンでしょうか。
「天皇陛下、万歳!」
とスクリーンのなかの登場人物皆が叫ぶシーンがあるのです。
まずは女相撲の朝鮮人十勝川関が嗚咽するように呟き、それに呼応するように十勝川関を拷問していた在郷軍人たちが叫び、十勝川関を救おうとしていたギロチン社の中濱鐵が叫び、古田大二郎が叫ぶのです。
なんじゃあ、こりゃあ!? !!
とてつもない、意図されたものではない、まさに映画の神が降っておりてできてしまったとてつもないシーンを目撃してしまったのでした。
そして、わたしの眼からはとめどもなく涙が降り落ちていくのでした。
落涙の理由なんてわかりません。まさに、なんじゃあ、こりゃあ!?でした。
そしてこの瞬間にこの「菊とギロチン」はわたしにとって神映画になったのでした。
神が降りてくるシーンとは、たとえば黒澤明の「八月の狂詩曲」の最後のおばあちゃんの傘が吹き飛ばされそうになるシーンとか、キューブリックの「2001年宇宙の旅」の最後のシーンとか、「シンゴジラ」のゴジラが熱線で東京を焼き尽くすシーンとか、 ルコントの「髪結いの亭主」での最後のダンスシーンとか、まあいわゆる神映画には必ずあるのです。


 先にも書きましたが、公開は今夏の予定。おそらく小さな劇場での限定公開となることでしょうから多くの人の目に触れることはないのかもしれません。それでも口コミで評判が評判をよび、何らかの映画賞でも受賞すれば評価があがるかもしれません。でもまあわたしにとってはおそらく今年のベスト1映画になるだろうという確信のもと、静かにこの作品の動向を見守っていきたいと思います。
そして、最後に、こんな素晴らしい神映画をつくってくれた瀬々監督に感謝です。
今ではこの映画に出資したことが本当に誇らしく思えます。おまけに最後のクレジットで製作委員会の項に、わたしの名前があったりして、単に金を出しただけでなにもしてないのですが、とりあえず恐縮してしまいました。
本当にありがとうございました。
一般公開になったらまた観ようっと!

2018年2月6日火曜日

われ一塊の肉塊なり@永遠の戸川純



 戸川 純(とがわ じゅん、1961年3月31日 - )は、日本の歌手・女優である。
本名は戸川 順子(とがわ じゅんこ)。
歌手としてはゲルニカ、ヤプーズなど、またはソロのヴォーカリストとして活動している。

 何かのキッカケで「戸川純」の名前を久々にみて、おっとそういえば戸川純は今何してるのかなあ・・まだ生きてたっけえ?などと思いながらググってみるとなんと昨年にニューアルバムをリリースしているではないですか!
戸川純を今更紹介するのも何なので、わたしが「これが戸川純だあああ!」と思う、動画を下に貼っておきます。こんなものがあったのもびっくりですが・・・。

諦念プシガンガ

空の彼方に浮かぶは雲  嗚呼わが恋愛の名において  
その暴虐の仕打ちさえ  もはやただ甘んじて許す  
牛のように豚のように殺してもいい  
いいのよわれ一塊の肉塊なり  

空に消えゆくお昼のドン  嗚呼わが恋愛は終止せり  
あの泥流の恩讐が  もはやただあとかたもなしや  
愕然とする間もなく  腐敗し始める  
われ一塊の肉塊なり

1984年・・ 作詞:戸川純

圧倒的な歌詞ではありませんか。
今、現在、久しぶりに聴いても魂が身震いするのを感じます。
まさに、永遠の戸川純です。

で、その戸川純が昨年発表したアルバムから2曲を下に貼ります。




いやあーーいいなあーーー戸川純の世界ですよ。

このVampilliaという音楽集団も素晴らしいです。
戸川純の音楽性と通奏低音で一致しております。
Wikiで調べると簡単には次のようになります。

Vampillia(ヴァンピリア)は、日本のロックバンド。自称10人+αの「ブルータル・オーケストラ」。2005年頃関西で結成。

下に彼ら(彼女ら?)のオリジナルの曲を貼ります。これを聴くと最初の部分はアニメ「惡の華」のエンディング曲を思い出します。



あーともかく久しぶりに戸川純の音楽に触れ、まさに「われ一塊の肉塊なり」とひとりごちたのでした。