2018年6月30日土曜日

森田童子、死す。


 森田 童子(もりた どうじ、1953年(昭和28年)1月15日 - 2018年(平成30年)4月24日)は、
日本の元女性シンガーソングライター。本名は非公開。
1975年10月、シングルレコード『さよなら ぼくの ともだち』で、ポリドールよりデビュー。
以後主にライブハウスを中心に活動。1983年までにアルバム7枚、シングル4枚をリリースし、同年のアルバム「狼少年 wolf boy」と新宿ロフトでのライブを最後に、引退を宣言することなく活動を休止。
カーリーヘアにサングラスというスタイルが特徴で、コンサートはもちろんレコードジャケットなどでも素顔を見せることはなかった。実生活についてもほとんど公表せず、作詞した歌詞の内容もありのままの実体験ではなく願望を投影したものであるとしており、普段も寡黙で、独特の世界観を表現した作品に生活感を滲ませることを避けていた。


 ぼくは大学受験の浪人時代に森田童子を知った。
きっかけはレコード店で偶然彼女のファーストアルバム「グッド・バイ」を手にし、そのジャッケットの鮮烈な印象に、つまりジャケ買いをしてしまったのである。
ジャケットには収録曲「まぶしい夏」の歌詞が記されていた(上の写真を参照)。

玉川上水沿いに歩くと
君の小さな
アパートがあった

夏には窓に竹の葉が揺れて
太宰の好きな君は
睡眠薬飲んだ

暑い陽だまりの中
君はいつまでも
汗をかいて眠った

あじさいの花より鮮やかに
季節終わりの
セミが泣いた
君から借りた太宰の本は
寂しい形見に
なりました

ぼくは汗ばんだ
懐かしいあの頃の
景色をよく覚えてる

太宰の小説はかなり読んでいた当時のぼくは太宰のことがどちらかというと嫌いだったのだが、なぜかこの歌詞にひかれて彼女のアルバムを購入した。
それからぼくは森田童子の世界の虜になった。
リリースされるアルバムはすべて購入し、コンサートも2度行った。
まさに森田童子と同時代に彼女を体験した。
だから90年代になってTVドラマ「高校教師」がきっかけとなって彼女の曲が大ヒットしたことには苦々しい思いしかない。

浪人時代、ぼくの通った京都の予備校に変わった女の子がいた。
歳は高校3年生のそれで高校は中退して大学検定を取得して大学受験のため予備校に来ていた。確か京大医学部を受験した時に同じ教室に彼女がいたことを覚えていた。
少しずつ彼女を知るようになって、彼女が田舎の中高一貫教育の出身であり、中学3年の頃から担任の先生とつきあうようになり、それが原因で高校を中退することになり、中退してもその先生とはつきあい続けていたが、ある日いつものように朝の逢瀬を重ねている時にその先生は彼女の上で腹上死してしまったということで、彼女は仕方なく田舎を出て、京都で大学受験に励んでいるとのことだった。当時のぼくは彼女がまだ高校生のくせに熾烈な人生を歩んでいるんだなあと痛く感心したものだった。
彼女は中学時代にサドの全著作を読破したと言っていた。
彼女の下宿には本棚にいっぱいの本、特に少女漫画が置かれていた。
ぼくは彼女に感化されて、彼女の家に行くといつも少女漫画を読み漁った。
小劇場の演劇を観に行くようになったのも彼女のおかげだったし、天井桟敷や状況劇場、つかこうへい事務所を教えてくれたのも彼女だった。
当時のぼくは彼女に多大な影響を受けていた。
そんなぼくが唯一彼女に影響を与えのたが、森田童子だった。
彼女は森田童子を偏愛した。

あの当時を今思い出すに、あの眩しい夏を思い出すに、汗をかきながら彼女の下宿でふたり並んで少女漫画を読み、ボルヘスやマルケスの海外小説を読みふけっていたあの日々を思い出すに、その記憶にはいつも森田童子の歌声がついてくる。
彼女の言うことは本当だったのだろうか?
中学の先生との恋愛、先生の死による帰結は事実だったのだろうか?
今思うに、それらはすべて彼女がつくりだした幻想だったのかもしれない。
十代のぼくは彼女の作り話にふりまわされていただけのことかもしれない。
ぼくは京大医学部に進んだけれども、彼女は、京大医学部を落ちて、翌年に京大理学部を落ちて、そして翌々年に阪大理学部を落ちて、結局、10歳以上離れた新しい彼を見つけて、神戸に引っ越し、そこで結婚し、子供を生んだ。
そこまでは、ぼくは知っている。
「別れてほしい」と言われた時、肩の荷が降りた思いで、安堵した嫌な思いが甦る。
その後、彼女はどうしているんだろう・・・・

森田童子が「高校教師」で話題になった頃、ぼくは留学先の米国でこのドラマを観た。そして、まさに彼女を 思い出した。主演の桜井幸子が彼女にみえて仕方なかった。
森田童子は脚光を浴びたが、表舞台に出ることはなかった。

そんな森田童子が死んだ。

彼女の曲、すべてが好きなのは言うまでもないが、ここでは3曲だけ貼っておく。
「まぶしい夏」はその歌詞が森田童子を知るきっかけになった重要な曲。
「蒼き夜は」は彼女が好きだった曲 。
「哀悼夜曲」は自分の死に際して、流してほしい曲である。

まぶしい夏

蒼き夜は

哀悼夜曲