2021年10月31日日曜日

コロナ禍の終焉?

 


 新型コロナウィルスの感染者が激減した。

そしてその激減した確たる理由を誰もわかっていない。

おそらくこれのみが真実であり、激減のいろいろな理由もしくは解釈は放置しておくのが一番であろう。エビデンスに基づいて理由を推測するというのもあくまで推測にしか過ぎず、エビデンスというものがそもそもいかがわしいものであるということが皆よくわかったと思う。一流ジャーナルにアクセプトされた論文が正しいかというとそんなことは絶対にないし、本庶先生が言っていたようにネイチャーサイエンスクラスでもその90%以上の論文は10年後にはなかったものとして忘れ去られていくのである。

コビナビという、クソみたいな若手および中堅医者の言うことなど無視するのが一番である。知念実希人という小説家(ミステリー小説?)兼医師(といっても父親の開業医院を週一回手伝う程度の医者)がクソみたいなことを喚いているが、こいつ今後大丈夫かと言いたくなる。せっかくの小説の価値が、こんなコロナのことである一定層から否定される(小説的価値からではなく)のはある意味可哀想である。 わたしは何年か前にかれの作品を読んだが特に感想はなかった。これはわたしが単に推理小説分野にほぼ関心がないことから来ている。小栗虫太郎などの昔の本格派や京大推理小説研出(綾辻行人ら)の新本格派という作家たちのものも苦手であるわたしに推理小説を語る資格がないのは明らかである。

話がそれてしまったが、で、これでコロナは収束して新たな第六波は来ることなしに世の中からコロナ禍は消滅してしまうのであろうかということであるが、それはわからない。海外の状況をみている限りでは日本も同じように感染者のぶり返しが来てもおかしくない。そして、それはワクチン接種者間でのものである。しかも、おそらく重症者死者が増えるのならそれはワクチン接種者においてのみ増えるのであろう。もちろんこれに確たる根拠はないが海外の状況をみるかぎりではそうなるような気がする。

岡田斗司夫が面白いことを言っていた。コロナ禍は戦争と同じであると。今は戦時下にあるのと同じなんだと。戦場で実際に死ぬ人数よりもその影響で死ぬ一般市民の数の方がずっと多いのと同様にコロナ禍でも実際にコロナ感染で死ぬ人数よりも経済の失速等で死ぬ人の方がずっと多いということ。第二次大戦時と同じように、隣組のようなものが形成され、コロナ感染者を密告し、またワクチン非接種者を差別するようになっている。「欲しがりません勝つまでは」と同様に利他的な価値観をワクチン接種に求めている。まさに戦時下である。現在、まさにコロナ脳で、コロナ感染者を忌み嫌い、皆で感染しないようにとマスク着用や手荒励行に神経を研ぎ澄まし、子供にまでワクチンを絶対推奨して自分は世の中のために正義を実行しているまでだと固く信じている人はもう一度自分の姿を客観的に眺めてほしい。あなたの姿は第二次大戦の時のあの大日本帝国軍と大日本帝国人民の姿に他ならないのではないか。ナチスドイツでのナチスとドイツ国民の姿に他ならないのではないかと。

とにかくわたしはこれでコロナ禍が収束することを切に望む。

ワクチンがとんでもない副作用が今後明らかになることは望まない。軽微な副反応だけにとどまることを望む。

しかし、自分が望んだように世の中はなかなかすすまないというのも現実である。