2025年1月31日金曜日

ある患者さんの死

hさんは私の患者さんです。

30年くらい前に私が京大で助手をしていた頃に左眼網膜剥離で入院してきて私が手術をしました。hさんはその時は20代前半の若々しい活発な女の子でした。

手術は無事成功して左眼視力も良好でした。

で、私が神戸の病院へと異動となってもhさんは私の診察を受けたいということで神戸まで来てくれました。といってもその頃は術眼は落ち着いていたので1年に1回の診察だったように思います。が、その経過観察中に今度は右眼に網膜剥離が生じました。前回と同様に私は神戸でhさんの右眼網膜剥離の手術を同様の方法で施行しました。術終了時には問題なく、私もなんとかこちらも治ったかなと安堵しました。が、翌日、hさんは高熱を発し、右眼は網膜が浮腫状になっており網膜動脈閉塞が示唆されました。どうしてこうなった?困惑したまま私は右眼の圧を下げる処置等をしましたが効果なく、右眼は失明となりました。それでもhさんは私を責めることもなく、左眼が見えるから大丈夫ということで健気にも振る舞っていました。

その後、私が尼崎、大津と病院を異動してもそれとともにhさんも私の診察についてきてくれました。京都にお住まいの方でしたので大津になった時は近くなったと喜んでくれました。hさんがどのような仕事をしていたかは詳細はわからないのですが、派遣で電子カルテの会社に勤めているようなことを言っていた時期もありました。そうこうするうちに左眼の白内障手術をすることになり、それも私が施行して経過良好で、1−2年に1回の診察になってました。そのうち、hさんは東京に仕事の場を移し、薬剤の治験のコーディネイターのようなことをしており、東京の医科大学に勤務するようになりましたが、一昨年に左眼に網膜剥離が再発し、急遽東京から京都まで帰ってきて私が手術をしてなんとか網膜は復位して視力も元に戻りました。左眼も見えなくなってしまうと完全な失明状態になるのでその頃のhさんの精神状態は不安の極限に達していましたがなんとか無事に治癒できて私もhさんも安堵していました。最悪の状況を脱した後は、勤務している大学の縁があって前向きなhさんは昨年には学位も取得しました。その報告を受けた時には私も心からおめでとうとお祝いのメッセージを送りました。

そんなhさんから昨年9月頃に子宮がんと診断されたというメッセージが届きました。ただ、まだ初期のもので今のうちに治療を開始すれば問題ないというようなことを書いてました。私もしっかりと標準治療を受ければ大丈夫ですよという励ましの返信をしました。が、11月になってがんの進行が早くなったというようなメッセージをもらい、12月初旬に急遽手術をすることになったようです。手術の結果はかなり悪く転移があったようで至急に化学療法を施行することになりそうだという落胆したメッセージを受け取りました。私は治療はまだ始まったばかりだから辛いだろうけど諦めないでというありきたりな返信を返すことしかできませんでした。

hさんの誕生日は12月24日でした。憶えやすいので、思い出した時は誕生日おめでとうのメッセージを送ることがありましたが実際これまで送ったのは1−2回きりだと思います。でも今回はきっちりと励ましておかないとと思い、きちんと12月24日に誕生日おめでとうのメッセージを送りました。しかし、返信はありませんでした。私のメッセージに対してhさんから返信がないということはこれまであり得ませんでした。ですから返信がないことにとても嫌な予感を抱きました。でもその予感が当たることはどうしても避けたいので私は返信がない理由を確かめることもなく、もう少し待てば病状が回復して返信できるようになるだろうと自分に言い聞かせてhさんの返信を待ちました。

今月の中頃に返信がありました。

それはhさんの双子のお姉さんからでした。hさんが昨年末12月21日に亡くなったというメッセージでした。容態が急激に悪化して亡くなったということでした。

私はhさんのお姉さんにお悔やみのメールを返すだけでした。

私より一回り若いhさんは私より長生きするものだと根拠もなく思っていたので、何か何というかポッカリと心に穴が空いたような、かといってそれほど深刻なものでもないような、何とも言い難い気持ちが最近私を占拠しています。それとお別れするためにもなぜかこの文章を書いているような気がします。

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