1991年、小学館の『ビッグコミックスピリッツ増刊号』に連載され、同年光文社が山本直樹の他の短編作品とともに単行本化したが、作中の性描写が問題となり、1992年3月に東京都の青少年保護育成条例により不健全図書の指定を受け、版元回収になる。
1992年10月、弓立社により、成人向けコミックとして出版された。弓立社版は、光文社版では隠されている局部の描写もそのままになっている。2001年には双葉社、2006年には太田出版より、同内容の単行本が出版された。
(Wikipediaより)
今日、twitterを眺めていると宮台真司が「性表現と都条例を考える」という題で、山本直樹と対談したと呟いており、それが無料公開されている(http://www.ohtabooks.com/press/2011/03/02201956.html)ことを知ったのでダウンロードして読んだ。もちろん、面白かった。
山
本直樹とわたしは同学年で、一度だけ会って話したことがある。当時、「メタリック」が出版された直後で、三島由紀夫賞候補にもなり、いろいろとメディア関
係からも取材とかがあった頃、弓立社の編集者(名前を失念してしまいました。清楚な感じの美人女性編集者さんでした)が、若い人の理科系離れを食い止める
ための何か面白い本を作りませんかとわたしにコンタクトをとってきたのだ。結局、わたしがそういう本を作ることにはまったく興味がなかったのでその話はお
じゃんになったのだが、その編集者さんと知り合った初めの頃の雑談で、わたしが好きな漫画家は山本直樹ですと話したところ弓立社から「BLUE」が出版されていますよという話を聞き、それはすごい!とわたしが興奮したことから弓立社版「BLUE」をいただき、さらには山本直樹さんと会って話す機会をセッティングしていただいたのだ。
「BLUE」
とわたしの出会いは、もちろん「BLUE」がスピリッツ増刊号に掲載された時であり、わたしはその号を大学院の研究室で読んだ。研究室には実験動物を飼育
してくれている日比さんというおじいさんがおり、その日比さんがいつも病院のどこからか読み捨てられた漫画を拾って、研究室にもってきてくれていた。スピ
リッツ、モーニング、ヤンマガは必ずあり、わたしは毎週日比さんの置き土産を楽しみにしていた。「BLUE」を読んだ直後、わたしはその作品のすばらしさ
にあまりに感動してしまい、いまやっている実験すべてを放り出して、どこでもいいからどこかのビルの屋上に行きたい気分に駆られた。できれば高校の屋上な
どが最高なのだが、当時では既に学校の校舎に侵入するのは大変な勇気がいることになっていたと思う。屋上に上がって、何も考えずに、上空にひろがる青い空
とその下にひろがる街々を眺めていたかった。まあもちろん、そんなことはできずに鬱々と実験を続けただけのヘタレなわたしであったのですが。
現時点において、わたしのなかで、ベスト漫画作品はこの「BLUE」です。
で、
弓立社の媒で、その作者山本直樹さんと喫茶店で小一時間ほどお会いして話することができました。とても面白い変なおっさんでした。同級生なのにおっさんと
いうのも何ですが、やっぱいかがわしい変なおっさんというのが一番当たっている形容に思えます。主に山本さんが喋っていたような記憶があります。共通の話
題として天井桟敷があがり、山本さんは天井桟敷の打ち上げとかにも参加したことがあるというようなことを話していた記憶があります。事前に「メタリック」
も読んでくれており、特に後半の暴走シーンが面白かったというようなことを仰ってくれました。山本さんの好きな作家は内田百間ということでした。弓立社の
編集者からは、ふたりで何か作品を共作してはどうですかと言われたのですが、山本さんの漫画は山本さんの作家性によって成立しているもので、何かの原作を
単純に漫画化することは山本さんの仕事ではないと思いましたので、わたしの方からも何かを提案することは一切なく、そのままその話もなくなってしまいまし
た。
山本直樹の漫画のどこがそんなによいのかと言われると、その答えは至極簡単です。山本直樹の描く女の子が好きなのです。とらえどころない、小悪魔的な聖少女のような・・・・。
山本直樹さんは、現在はイブニングで「レッド」という連合赤軍関係の作品を連載しておられます。わたしはまだ未読で、連載が終了したら単行本でまとめて読んでみようと思ってます。
ともかく山本直樹さんには死ぬまで描き続けてほしいです。