2012年11月28日水曜日

新潮新人賞

新潮新人賞(しんちょうしんじんしょう)は新潮社が主催する公募新人文学賞である。
受賞作の発表は同社が刊行する文芸誌『新潮』で行われる。毎年3月31日締め切り。

今年度の新潮新人賞が先月発表された。で、受賞者のひとりは京都大学医学部の学生で19歳の女性ということでちょっとだけ話題になっていた。つまり、わたしの後輩ということになる。わたしが同賞を受賞した時は、既に32歳で米国留学中だったので何の話題になることもなく、また、わたしの耳になにかの雑音が届くこともなかった。今のようにインターネットもまだ流行っていなかったので自分受賞に関する噂話みたいなことを目にすることもなかったし、たとえネットが流行っていたとしてもそんな噂話が出ることもないような瑣末な出来事にしか過ぎなかったような気がする。だからある意味、雑音に惑わされることなく、次作「メタリック」の執筆に集中することができたのだと思う。
で、京大医学部の女性、名前は高尾長良さんというのだが、受賞作の評判はあまり芳しくないようだ。選考の評でもどちらかというと同時受賞の門脇さんの方が評価が高いような気がする。共同通信配信の文芸時評で藤沢周氏は、この二人が受賞したことを記し、続いて門脇さんの作品の簡単な批評を書いているのだが、高尾さんの作品については一切触れずじまい。これはひどい!(笑)。時評をもし高尾さんが読んだなら「藤沢、殺す!」と思うだろう、いえ、思え!思わなければ作家ではない!そして殺れ!というのは冗談でもなく本音だが、藤沢周氏の作品を読んで面白いと思ったことが一度もないわたしとしては別にこんなやつに無視されたって気にすんなと声をかけてあげたい。まあ高尾さんにとってはありがた迷惑以外のなにものでもないのだが。かといって、わたしが高尾さんの受賞作「肉骨茶」を読んで面白いと思ったかというとそれほどでもない。確かに門脇さんの「黙って喰え」の方が読みやすくて面白い。だから何なんだと・・・・。
自分の受賞作「螺旋の肖像」は当時から自分自身で批評してみて決して褒められた作品ではなかった。この作品でやりたかったことはきちんとした医学知識のもとにきちんとした実験医学の方法論で物語を紡ぎだすことでそれによって純文学とSFを融合させることだったのだが、作者の力不足のため純文学的要素が陳腐で、立ち位置がわかりにくい作品になってしまった。しかし、おそらくこの作品の影響で、石黒達昌氏の「平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに……」(1994年芥川賞候補作)などが生まれてきたように思う。石黒氏はわたしとほぼ同年令で東大医学部卒の医師であり、1989年に海燕新人文学賞を受賞してデビューしていたのだが、それまでの氏の作品は極めて純文学色の強い作品だったにもかかわらずわたしが新潮新人賞を受賞した後に発表された「平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに……」は論文形式のきわめてSF色の濃い作品となっていた。これは明らかに「螺旋の肖像」の影響ではないかと思ったのだが(実際当時、わたしの担当編集者もモノマネが出ましたよと言ってくれた)、石黒氏の作品の方が、「螺旋の肖像」よりもずっと洗練されよりアバンギャルドな感じだったので多くの方面で高評価を得ることになった。その際に、比較として「螺旋の肖像」が取り上げられることがなかったことが悲しいところではある。わたしと仲の良かった同級生がたまたま石黒氏と高校の同級生であり、彼から「あんなやつに負けんなよ」と励ましの言葉を頂いたのであるが、その後の作品数や候補歴からみるとどうみても石黒氏の勝ちである。しかし、現代文学という大所高所からみるとわたしも石黒氏もどうでもいい負け組に違いない。勝ち組は村上春樹のみかwwwww
先日、新潮新人賞をわたしと同時受賞した中山幸太氏が京都に遊びに来たのでいっしょに食事をして京都の街を飲み歩いた。楽しかった。お互いの傷を舐めあって慰め合った(笑)というのは冗談だが、その際に、わたしたちが受賞して既に20年が経過したことを中山さんから教えていただいた。あーーはるか昔のことだ。で、とにかく、新潮新人賞で同時受賞者同士が今でもこのように連絡を取り合い、担当編集者を罵倒し(わたしの担当の風元氏のことは罵倒してませんw)、当時の選考委員をこきおろし、その前後の新潮新人賞受賞者たちを批評しあうというのはわたしたちだけではないかという確信はある。そんなことやってるからお前らは糞なんだよと言われるのはわかっているのだが、糞には糞の矜持なり誇りなり大逆襲なりがあるのだ、いやあるのかもしれない。糞なんていって中山さん、すいません。で、今回の受賞者、高尾さんと門脇さんが仲良く飲み屋でお酒を酌み交わすということがあるのだろうか?まあどうでもいいことではあるのだが。
ともかく新たな作家の門出を祝したい。というのは嘘で、この雑音が多い世の中で罵詈雑言を浴びせられて(若い人にとってはちょっとネガティブな意見でもそれは大悪口に聞こえてしまう)、精神が参っていかないことを願っている。そして、高尾さんは、作家として大成しなくてもちゃんとした医師にはなってほしい。なにせ国立医学部には多くの税金が使われていますので(笑)。
以上、なんとか11月にうpできた。乙!