2022年12月31日土曜日

2022年ベスト1

 

フルネームは鯉登音之進(コイト オトノシン)。
1886年12月23日生まれ、推定21歳。(20歳、22歳説もある。)
大日本帝国陸軍北海道第七師団歩兵第27聯隊に所属する軍人で、階級は少尉。 鶴見中尉お気に入りの薩摩隼人で、彼を異様なほどに崇拝しており、常に彼のブロマイドを胸ポケットに忍ばせている。

恒例のベスト1だが、今年はゴールデンカムイか映画「音楽」かで悩んだがまあゴールデンカムイにしておこう。

ちなみにわたしの推しキャラは上記の鯉登である。  

以上、今年はささっと終わります。

2022年11月30日水曜日

ゼロコロナと独裁者

 

ゼロコロナ政策は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への対策として、都市封鎖など強制的な対策によって市中感染を徹底的に抑え込もうとする政策。特に中華人民共和国において中国共産党が推し進める厳格な行動制限などを通じて、感染症の完全な封じ込めをはかる政策がよく知られている。

コロナの初期からゼロコロナを訴える馬鹿が沢山いた。その馬鹿たちは過去の自分の言説は全く忘れたように今は渋々withコロナに従っている。

まさに馬鹿馬鹿だ。

中国は未だにゼロコロナだ。クソだ。しかし、このゼロコロナによって民衆が立ち上がり革命が起こればそれに越したことはない。でもおそらく無理だろうな。

ゼロコロナと独裁者は親和性が高い。

ゼロコロナを主張していて奴らの本性は独裁だ。これまでのコロナ政策にまつわる各人の言説をしっかり記憶して独裁者たちは排除しよう。

さて、これからはワクチン災害の始まりだ。どうなるのだろう。まあ、わたしは1回もワクチン打ってないのでどうでもいいがwww

2022年10月30日日曜日

ゴールデンカムイ 連載は終わり、アニメは第4期へ

ゴールデンカムイ』(GOLDEN KAMUY) は、野田サトルによる日本の漫画。明治末期の北海道・樺太を舞台にした、金塊をめぐるサバイバルバトル漫画。『週刊ヤングジャンプ』(集英社)にて、2014年38号から2022年22・23合併号まで連載された。(wikipediaより)
 

ゴールデンカムイは正直にいうとアニメから見始めた。第一期の第一話のエンディングは鳥肌ものだった(MWAMのWinding Roadが流れてきた時は魂が震えた)。

で、アニメで第3期までみて、それから今年のGW中に漫画が全巻無料でネットで見れるということを知り、全巻読んだ。

面白かった。

漫画の連載は終わったが、アニメは今秋に第4期が始まった。わたしはアマプラで見ている。面白いのは当たり前である。

ということでサクサクと簡単に終わっておこう。

2022年9月5日月曜日

「街の上で」と「愛がなんだ」

 街の上で』(まちのうえで)は、2021年4月に公開された日本映画。監督・脚本は今泉力哉、主演は若葉竜也。キャッチコピーは、「誰も見ることはないけど 確かにここに存在してる

 

8月はまた記事をアップすることを忘れた・・・。

馬鹿馬鹿しいコロナ騒ぎが馬鹿馬鹿しくて馬鹿馬鹿しいことを書いても仕方ないと馬鹿馬鹿しく思ったのでコロナ禍のことは馬鹿馬鹿しくて書く気がしなかったので書くことを忘れた。ってなに言ってるのだろうwww

今回は前々回エントリーの映画「音楽」つながりで邦画2本について書く。

「音楽」の原作者である大橋裕之が脚本に参加している「街の上で」とその監督である今泉力哉が同様に監督している「愛がなんだ」を観た。

まずは「街の上で」であるがこれは長回しを多用しており、会話劇にしても十分成り立つような秀逸な作品であった。とにかく登場する俳優さんたちが皆一癖も二癖もあり、かと言って目立ちすぎず渋ーい感じの個性が際立つような登場人物ばかりでとても面白かった。セリフはどれも素晴らしかった。終わり方も格好良くて本当に最後は幸せな気持ちに包まれた。一番気になった役者さんは古川琴音という方で、現在はかなり有名になっておりNHKのドラマ等にも主演なされているとのことだ。確かに独特の雰囲気のある女優さんで今後も市川実日子さんのような感じで大成していってほしい。 

で、その後に同じ監督の「愛がなんだ」を観た。出演している役者さんは「街の上で」と重なる人も多く(成田凌、若宮竜也(「街の上で」の主人公)など)、なんとなく既視感を覚えながらも楽しく観れた。原作は角田光代だけあって恋愛の偏ったメンタル面が非常にうまく描かれており、とても興味深かった。個人的には「街の上で」の方が面白かったが、かといって「愛がなんだ」もかなり面白い作品であり、このような良い作品を続けて観れたことを幸せに思った。

 

2022年7月26日火曜日

コロナ第7波

 

        2021年からの日本のコロナ感染者数推移

言わんこっちゃない。

コロナウイルスの感染症指定枠を2類から5類へ格下げする前にコロナ第7波が到来し、世の中はてんやわんやである。まさに愚かである。まさに愚の骨頂である。しかし、それにしてもこの状況で気狂いみたいに恐れ慄いているのは国民の半分くらいで、その他半分は大して気にするでもなく、これまで通りに粛々と日常生活を送っているようである。まあただの夏風邪であるからそれが真っ当な対応方法であるのは間違いない。 

政府の愚策により夏風邪ごときで、そしてその濃厚接触者ということで多くの人が休まざるを得なくなっている。うちの病院でも多くのスタッフが休み、医療がストップしている。ただの夏風邪のために。

ただの夏風邪でも重篤になる人もいるんだと喚くバカが沢山いるが、どんな病気でも軽症と重症があり、その比率でその病気を概観し、対処法を決定していかなければいけない。でも馬鹿にはそんなことはわからない。

今回のコロナ騒動でいかに世の中にバカが多いということがよくわかった。困ったことにそんなバカが世の中の重要ポストに居座り、世の中を動かしているということである。

ばかバカ馬鹿と連呼すると自分がばかであるような気がしてきた。実際はそうなのかもしれない。コロナ脳のバカが、反コロナ脳を馬鹿ばかと言っているのと何ら変わりないwww

とにかく上のグラフを見て、今の感染者数での世の中の動きを見て、コロナ初期のあの数での大騒ぎを反省して欲しい。以前の感染者数なんてまさにさざ波ではないか!そんなことは当初からわかっていることであり、それがわかる人も一定数いたのである。

コロナのことを話していると馬鹿馬鹿しくなってくるのでこの辺りで止めよう。とりあえず先月に記事をアップすることを忘れたことを反省しよう。


2022年5月30日月曜日

アニメ映画「音楽」を観た。

 「音楽」(おんがく)は、2019年に制作された日本のアニメーション映画。大橋裕之の漫画『音楽と漫画』『音楽 完全版』を原作に、岩井澤健治が監督、脚本、絵コンテ、キャラクターデザイン、作画監督、美術監督、編集を担当、4万枚を超える作画で構成される。声優には主演の坂本慎太郎、岡村靖幸と音楽関係者が参加している。映画は2020年1月11日に日本で劇場公開された。

Netflixで何か面白い映画はないかなと漫然と眺めていたところこの「音楽」が目に入った。

キャレクターのデザインは超個性的な感じで作品の上映時間も70分とどちらかというと短めであったのでこれは気軽に観れるなと思い、また面白くなかったら最初の10分くらいで観るのを止めようと思い、みはじめた。

で、どんどんとその世界観に引き込まれて、最後はまさに大団円という感じで「いやあーー久しぶりにいいものをみた!」という感慨で終わった。

こういう感慨は、映画「ジョジョラビット」以来のような気がする。その前は「1917」だったような。

とにかく素晴らしい映画であり、映画の中で流れる楽曲はどれも素晴らしかった。特に私が気に入ったのはバンド「古美術」の作品群であり、このバンドのボーカル兼リードギターの森田というキャラが気に入った。この森田が主人公たちのバンド「古武術」の音に初めて接した時の妄想世界の画面が下のようなものである。

 

画面の中に描かれているオマージュ画像の原典は私が調べた限りでは以下のようになる(知り合いから教えてもらったものもあり、また監督の岩井澤さんから直接教えてもらったものもある)。 

                              The Who; Who's next

                               Led Zeppelin; Zeppelin 1
           Pink Floyd; 原子心母
   フライドエッグ;
ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン
              ELP; タルカス
          ジョンレノン; ヌートピア宣言

中央の人物は森田本人であり、その横の福助は岩井澤さんの作品に登場する主要モチーフということである。

森田がギターを奏でるアニメーションはとてつもなく格好いい。一人でこのアニメのセル画を描いた岩井澤さんには脱帽である。本当に素晴らしい作品を創り上げてくださり、今後の作品にも期待大である(本人は次は実写をやりたいとのこと)。下に岩井澤さんの初期作品を貼っておく。これも素晴らしくここから既に福助が登場している。

 

最後に「音楽」の予告編も貼っておきます。
 


2022年4月30日土曜日

コロナの終焉

 

 

コロナの感染者数は漸減しているが数的にはまだまだ多い。

これまでの第1波から第5波までの感染者数及び死者と比べるとまだまだ圧倒的に多い。それでも多くの人がもうそろそろコロナは終焉したかなと思っている。それは単に「倦んだ」だけのことだ。私がこれまで何度も書いてきたようにコロナ禍が終わるのはコロナの感染者数や死者が無くなった時ではなく、このコロナ禍というインフォデミックの現象に皆がいよいよ倦んでしまった時のことだ。ようやくこのコロナ茶番が終わろうとしている。今後、このコロナ茶番で施行された愚策(緊急事態宣言、マンボウ、マスク着用、ワクチン等)が評価の場に上がり、検証されていくことになる。そして、その結果は確実にこれらの愚策がお笑い種になるものだろう。10年後にはマスクをして、プラスチックのパネルを立てて、黙食している姿は憐れみを持って、そして嘲笑の対象となっているであろう。それは第二次世界大戦でB29に竹槍で対抗しようとした日本国民と同じ姿である。

ひとつの危惧は、この状況になってもいまだに5類へとの引き下げを行おうとしない政府とコロナ分科会の姿勢である。まさに愚かである。もしこのまま5類変更せずにいくならまた緊急事態宣言が発せられる悲劇が必ず来る。なぜならコロナが無くなることはないからである。コロナはこれからもどんどん現れる。そんなコロナと一緒に生きていくことが肝心なのであり、これまではそうしてきたのだ。PCRという新たな検査法の登場により私たちは見えないものに対しても恐怖しなくてはいけなくなった。まさに愚かである。

私は当初からずっと言ってきた。こんなものをなぜ恐れるのかと。過度に恐れて、自らのその恐怖を他人にも強制させ、社会を過度に萎縮させていった人たちはもう一度、いや何度でも当時の自分の姿と現在の姿を見比べてほしい。そこに一貫性はあるのかと?多くの医者のコロナに対する言説はずっとネット上に残っている。それをきっちりと調べてその医者の信用度を測ってほしい。特にコビナビの医者たちの言説を検証してほしい。いかに一貫性のないその場あたり的な言説かということを確認してほしい。

最後にいつになったら日本人はマスクを外すのかという問題であるが、私は昔から日本人はマスクが好きだと思っている。理由は簡単でマスクで鼻及び口周りの自分の恥ずかしい醜い容姿を隠すことができるからである。日本人の多くが自分の容姿は醜いと感じている。マスクで隠すことが公に正当化されるなら多くの日本人はそうし続けるのである。やれやれである。しかし、とにかく自分の醜い顔を隠すためにマスクをし続けたい人はし続ければいいと思う。ただそれをマスクをしたくない人に強要することはやめてほしい。わたしは診察時にはずっと前からマスク着用していた。だから今後も診察時にはマスクをし続ける。わたしが診察時にマスクを着用するのは単に患者さんの臭いが気になるからである。感染云々ではない。だが、マスクをしたくない人はもうどんどんマスクを外すべきである。醜い奴だけがマスクをし続ければいい。そうそれだけのことだけである。

2022年3月31日木曜日

フィンランドのヘビメタ

 ヘヴィ・メタル・バンド

 フィンランドはおそらく、人口1人あたりのヘヴィ・メタル・バンドの数が最も多い国であり、また同時に政治の面では、世界の中でも特に優れた国のひとつと言えます。この2つの間になにか相関関係があるのかどうかはわかりませんが。
──バラク・オバマ大統領(2016年、北欧諸国首脳との会合でのスピーチ)

 最近はフィンランドのヘビメタにはまっている。

フィンランドのヘビメタといえば真っ先に浮かぶのはNightwishであり、私は昔からのファンであり、過去のエントリーでも幾度が取り上げてきた。他に有名どころといえばChildren of Bodomがあるが、これは私にはどうも合わない。だからあまり聴いてはいない。

数年前からよく聴いているのはWintersunというバンドでどの曲も長いが非常にメロディックで感動する。とりあえず2曲を下に貼る。


 

続いてはInsomniumというバンドでこれもデスボイスが入るが非常に個性的でバイキング的な要素もあるように思う(一般にバイキングメタルはスウェーデンやノルウェーのバンドのことをいうが)。


最後にAmorphisを1曲。これは前2者に比べると普通っぽいがそれでも北欧臭さは十分にある。


 ということで今回はかなり雑なエントリーになってしまった。

とにかく更新できてよしとしよう。


2022年2月22日火曜日

13周年

 


 今日は2月22日。つまり、猫の日です。

つまりこの創作実験室が創設されてから13年経ったということです。
それだけのことです。

オミクロンによる死者が増えているがそのほとんどは関連死である。つまりオミクロンが直接的な原因ではない。つまり高齢で基礎疾患にて亡くなられる方たちがpcr検査で可視化されただけ。それだけのこと。いつまでこんなことを続けていくのか。まあバカにはわからないのだろうな、例えばTVに出ている玉川なんとかというバカ。

2022年1月30日日曜日

オミクロン狂騒

 


 オミクロン株とは、2021年11月24日に南アフリカから報告された新型コロナウイルス変異株の1種。WHOはこのB.1.1.529系統の変異株を11月26日に「懸念される変異株 (Variant of Concern; VOC)」と位置づけ、ギリシャ文字順に「オミクロン」と名付けた。

オミクロンの感染拡大でまさに「やれやれ」である。

以前から言っているように感染者数で評価するととんでもないことになるのである。重症者、死者は殆ど増えていない。それでも感染者数増大を見て、そしてマスコミはそれを煽って、世の中の多くの人が怖れているのである。

しかも、濃厚接触者という糞みたいな設定が出てきてこれにより多くの人が自宅待機等を迫られ、仕事に従事できなくなり社会活動が停滞せざるを得ない状況になっている。

私の病院でも小学生や中学生の子供のいる看護師や他の医療従事者は学校での子供のpcr陽性児童の出現により濃厚接触者扱いになり休まざるを得なくなっており、病院業務にも支障が出始めている。まさに困ったものである。

で、現在、コロナウイルスは上記の「新型コロナウイルス感染症」の範疇に入れられている。2類ではないのである。上の表を見て貰えばわかるのであるが、2類であれば濃厚接触者という設定はないのである。そう、つまり現在の枠組みは2類よりも厳しい最悪なものなのである。しかし、オミクロンウイルスは感染力は高いもののその毒性は低く弱毒化しており重症例も少ない。いわゆるただのコロナ風邪なのである。それを未だに「新型コロナウイルス感染症」枠にはめ込んで対応している。

まさに最悪の対応方法である。

5類に引き下げれば容易に解決できる問題であり、以前に比べてより多くの医師が5類引き下げを提案しているが、政府の感染症分科会はそれをしようとはしない。本当に困ったものである。もっと困ったものなのが、この政府の姿勢を支持する愚民が多いということである。

おそらくオミクロンウイルスの感染は2月中には収束すると思われるが、ともかくこのコロナウイルス感染症枠を撤廃し、5類に引き下げしておかないと今後も同じことが永遠と繰り返されることになる。コロナウイルスの感染は今後も引き続き繰り返されることは確実であり、それに対する対応はこれまでのコロナウイルスに対する対応(つまり2019年以前)で十分であったはずだ。

はっきりいうと、これは新型コロナウイルスによる感染禍ではなく、pcrという検査により感染が可視化されたことによる検査禍、つまり人災に他ならない。これまでも何度も書いているが、まさに自家中毒禍なのである。この自家中毒から脱するのはそれを自覚することしかない。そして自覚するためにはこの自家中毒により多大な自己被害を被ることでありそれが皆に遍く広まることである。現時点でそれに気づき始めた人が増えてきてはいるがまだまだである。もう2−3回、今年中に同じような状況になったらもう皆が我慢できなくなるだろう。それにしても日本国民の我慢強さには辟易するばかりである。これではこの国で革命なんて起こることは絶対ないだろうな。今まではそれがこの国のいいところだと思ってきたが、やはりこれではダメなような気がしてきた。私が生きている間に革命みたいなものが起こればこの国は安泰だと思うが、そうでないなら静かにこの国は衰退していき死滅していくのだと思う。それでもいいのかもしれない。なんとなく美しい気もする。