2014年9月25日木曜日

iPS細胞と既視感(追加)


2012年、ランセットに掲載されたES細胞由来網膜色素上皮細胞の黄斑変性患者への臨床応用報告

日本のマスコミはだらだらと一点に集中して報道する傾向がある。iPS細胞しかり、STAP細胞しかり、iPS細胞初の臨床応用しかり、ノーベル賞しかり(また村上春樹がノーベル文学賞の最有力候補ってことで糞みたいな狂躁が繰り広げられるような気がする)、とにかく皆が同じことを報道して恥ずかしくないのかと思うくらい同じような報道を繰り広げる。
お前ら馬鹿か、糞か、あほんだらか、糞虫め!www

上に貼った論文は2012年にランセット(臨床医学の雑誌としてはニューイングランドジャーナルに次ぐ権威あるもの)に掲載されたものである。
執筆者の所属施設はJules Stein Eye Instituteでこれはわたしが91年から93年まで留学していたところである。
この論文はES細胞由来の網膜色素上皮細胞をStargardt's macular dystrophyという先天性黄斑変性疾患と加齢黄斑変性のドライタイプ(本邦で先日行われたiPS細胞由来網膜色素上皮細胞の移植は加齢黄斑変性のwet typeに施行された)に移植したというものである。
ES細胞は胚性幹細胞といわれ元々の再生医療はこのES細胞を用いて行われてきたのであるが、受精卵を使用することの倫理的問題があるためこれに代わる万能細胞の開発が急務とされその流れのなかからiPS細胞が開発されたわけである。iPS細胞は細胞内に外部から遺伝子を導入することにより万能化させるわけでその副作用が危惧されるわけであるが、ES細胞はその点においては憂慮すべき副作用は考えられず、安全な万能細胞といえる。
そのES細胞を使用して、網膜色素上皮細胞を誘導し、それを黄斑変性患者へ移植するというヒトでの臨床応用がすでに2012年に始まっている、いや、正確にいうと論文となって発表されているのである。これはiPS細胞由来網膜色素上皮細胞の加齢黄斑変性患者への移植と同じくらいに画期的なことに違いない。
しかし!
しかし、この臨床報告が世界的に話題になったなどとは寡聞にして知らない。
ランセットに掲載されるくらいだから論文の重要性は保証されているものと思われる。
しかし・・・・。
というか、おそらくこれくらいの扱いで十分なのだと思う。
この臨床応用に対する反応はこれくらいで十分なのである。日本のあの狂騒的な報道がおかしいのである。上記論文についてもよく読むとかなりいい加減である。患者の数の記載がないことから各1症例だと推測される。視力が若干改善したとあるが、まさに若干、いやほとんど変化なしといってもいいような改善にしか過ぎない。網膜色素上皮細胞の移植方法は、今回の理研の細胞シートではなく、ばらばらになった細胞を網膜下に注入しただけである。移植後の細胞の状態を示す眼底写真もなんかなあ・・・というようなものである。これでランセットに掲載されるのか・・・・もしかしたらランセットに投稿した経験のないわたしのようなものの単なるランセットの誤った過剰評価に過ぎないのかもしれない。
臨床の論文とはそういうものである。
論文になったからといってそれが真実である証拠はなにもない。
その後の第三者の検証に真実は預けられるのである。
元からして胡散臭い論文は誰も追試せずに検証さえされないという憂き目にあうこともあるようだが(笑)。
もうちょっとというかもっともっともっと冷静になって新たな知見というのは報道すべきであるのだ。検証はこれからなのである。そして、検証が終わってそれが本当に画期的な発見であることが確かめられてから漸く大々的に報道すべきだと思うのである。
こういう手順をきちんとふめば今回のSTAP細胞のような悲劇は起こらなかっただろう。
そして、iPS細胞の臨床応用に関しても無闇矢鱈な確証もない希望を患者に与えることもなかったであろう。

わたしは再生医療否定論者であるが、再生医療そのものを否定するものではない。
自分自身のカンとして、おそらく再生医療が臨床応用されることはないような気がしているだけのことである。であるから再生医療をどんどんと発展させて臨床応用までもっていくために力を尽くしている人たちには頭がさがる思いである。そして、再生医療が臨床応用され実際的な効果が確かめられた暁には「参りました」と土下座してもいい気持ちではある。
再生医療において細胞や組織の移植では中途半端なのである。
おそらく再生医療が実質的な医療としての効果を発揮するのは臓器移植の段階になってからだと思う。つまり、万能細胞から臓器を誘導するまでになったらおそらく再生医療万歳!となるように思われる。腎臓しかり、心臓しかり、肝臓しかりである。眼球に関しては視神経の再生とのからみがあるので眼球が再生されただけではなんともいえない。神経の再生が達成されないと実質的な利益はないような気がする。
そして、この万能細胞の臓器への誘導に関してもっともその最先端を走っていたのが笹井くんだったのだ。彼を失ったことは再生医療においてとんでもない損失に違いないのだ。

で、万能細胞から臓器を誘導するのはまだまだ険しい道程であるような気がするのだが、万能細胞からヒトの個体を作成すること、つまりクローンヒトを作成することは臓器誘導よりも簡単なような気がする。それは20年前に生まれいでたクローン羊ドーリーをみても一目瞭然ではないだろうか。
ということは、個々の臓器誘導が不可能ならまずクローン個体を作成してそこから臓器を取り出せばいいということになる。
おそらく将来的に臓器誘導ができないなら、例えば切羽詰まった心疾患を持った富豪が科学者に巨費を投じて、自分のクローンを作成させ、そこから若い正常な心臓を取り出し、自分に移植するということは十分にありえるのだ。その際、そのクローンをどうとらえるかはこれまたいろいろと論議されることにはなるだろう。

わたしが再生医療が嫌いな理由のひとつに「再生」という言葉自体のいかがわしさがある。
現代の病気のほとんどは、老化にともなったものである。心筋梗塞、脳梗塞などの虚血性疾患、認知症、骨粗しょう症、白内障、加齢黄斑変性などなど、それにもちろん癌も!
わたしたち医師はなにと戦っているのかというとほとんどが老化と戦っているのである。
老化=病気という図式が成立してしまっており、「病気を治す」というものの真実は単なるアンチエイジングに他ならないのである。
老化は悪か?
そんなことは絶対にないのである。
老化による緩徐な死の受容がなくなれば死は須らく悲劇的なものになってしまう。

最近は世間ではより長く生き長えることよりもよりすっきりと死ねることに関心が向いているように思われる。
まさに賢明な姿勢である。世間の方がまともである。
もし不老不死が達成されたならおそらくその瞬間から人類の破滅が始まると思われる。それだけは確信としてわたしの心中に巣食っている。


0 件のコメント: