2014年8月19日火曜日

BABYMETAL at SUMMER SONIC 2014

 サマーソニック(SUMMER SONIC)は、毎年8月上旬から中旬の間で2日間、
土曜・日曜に千葉と大阪で開催される都市型ロック・フェスティバルである。
企画・運営はクリエイティブマンプロダクション。

サマソニに参戦してきました。
もちろん目当てはベビメタ!ですが、それ以上にクラフトワークというのが本心です。
ベビメタだけが目当てなら京都住まいのわたしは大阪に行けば事が済むのですが、クラフトワークは東京だけの出演ですので、仕方なくというか喜び勇んで東京いや正確には千葉の幕張まで駆けつけました。
初日の土曜日の昼頃に幕張に到着し、いろいろと手続きをしている間に時刻は午後1時過ぎになってしまい、焦りながらもベビメタが登場予定のマウンテンステージへと馳せ参じました。ベビメタの登場は午後2時30分頃ですのでまだ余裕があったのですが、ベビメタの前の公演が、Fear, and loathing in Las Vegas(以降ベガスと略します)だったのでこれはぜひ聴かなければと思い、急いだわけです。
なぜなら単純にベガスの音はいいのです。
わたしは下に貼ったベガスの「Love at first sight」という曲がベビメタの「いいね!」に似ている、つまり「いいね!」はベガスからかなり影響を受けているという話からベガスを知るに至ったわけですが、確かにベガスの音と「いいね!」に共通するものはかなり見受けられます。「いいね!」よりもベガスの「Love・・・」を早く聴いていたらベガスの方に衝撃を受け、後に「いいね!」を聴いた時に、「ふーーん、なんかベガスみたい」なんて思ったかもしれません(笑)。で、ベガスのアルバムも手に入れ、他の曲も聴いたのですがどれも素晴らしいのです。なんで今まで知らなかったんだろう・・・とかなり反省しました。ですから今回のサマソニ参戦の第3の理由は、このベガスのライブを聴くということもあったのです。しかもそのベガスがベビメタの前というなんという絶妙なプログラム!
サマソニわかっているなという感じでした。

マウンテンステージはサマソニの数ある屋内ステージの中でも最大で、約2万人の収容力があるということです。到着してみると確かに広く、大体半分くらいまでがベガスの登場を待っている人たちで埋まってました。しかし、明らかに次のベビメタを待っているベビメタメイトたちもかなり多く見受けられました。おそ らくかなり前から前方の方はベビメタメイトたちで占められていたのではないかと思います。このメイトたちはとてもノリがいいので、ベガスの演奏中でもまさにノリにノッてモッシュができてました。
 ベガスの公演風景
ベガスの演奏は迫力満点で一方MCはすごく真面目で神戸出身のバンドということでこれからも末永く活動を続けてほしいと思いました。敢えて言うなら多くの曲が同じような展開なのでおそらく1時間聴くとちょっと食傷気味になるのではないかと思いました。これからはもうちょっと曲調のバリエーションを広げてほしいような気もしましたがこれはいらんお世話のような気もします。とにかく今後の一層の活躍に期待です。 で、ベガスで会場が盛り上がったところで、いよいよベビメタの登場です。 わたしはベガスの時は会場の真ん中あたりにいたのですが、ベガスの演奏が終わった後にすぐに前の方に移動し、ちょうどプレミアム客(一般入場とは他に1日3万円出すことによりプレミアムチケットというのが得られます。ちなみに一般入場料は1日1万5千円)のための専用エリアが左前方にありその柵のところまで行きました。事前情報でプレミアムチケットというのはあまりその価値がないことを知っていたので、確かにプレミアムのすぐ側まで実際に行けたことからプレミアムチケットにしなくてよかったと思いました。 ということでわたしはかなり前の方に位置していたためどれくらいの人が会場に集まってきたのかはわかりませんでした。twitter等の後からの情報ではマウンテンステージいっぱいになり公演15分前には入場規制がかかったということでした。 欧州および北米公演の評判からおそらく、いや必ず今回のサマソニでは入場規制がかかるのではと予想していたのですが、その通りになってしまい、それはそれでうれしいことでした。そのために早めに前方に位置取りをしておいた甲斐があったというものです。
ベビメタのライブ風景
で、いよいよベビメタの登場です。 いつも通り紙芝居ではじまりましたが、その紙芝居は欧米遠征のものと同じで、英語で語られました。違うのは「メタルの道はすべて・・・につながる」が「日本につながる」になっていたこと(まあ会場が日本ですのでそうなるのは当たり前ですが)、日本語字幕が付いていたことです。 演奏はこれもいつも通り「BABYMETAL DEATH」から始まりました。 しかし明らかにいつもよりも勢いと迫力が違い、会場の熱気もいつも以上だったような気がします(いつもベビメタのライブに参戦しているわけではないのでいつもというのがあいまいなのですいません)。ファンクラブの会員のみ参加可能だったライブを除けば、日本での一般相手のライブは武道館以来だったので待ちに待ったファンたちの熱狂は凄まじいものでした(わたしもそのうちの一人だったのですが)。 セトリは欧米のフェスと同じかと思っていたのですが、予想に反して、ヘドバンギャーとドキドキモーニングが加わっていました。まさに望外の喜びでした。そして、さらに後半の紙芝居では、これまでのサマソニでのベビメタの歴史が語られ、その最後には、11月のニューヨークとロンドン公演の発表がありました。 ベビメタのパフォーマンスは素晴らしく、神バンドもいつも通りの神演奏でした。途中でSU-METALのマイクの調子がおかしいところがあったのですが、SU-METALは慌てることもなく冷静にその旨の合図を送り、きちんとマイクの音が修正されていくその様はまさにSU-METALの女王様ぶりを垣間見た感じがしました。YUIMETALとMOAMETALの踊りもいつにも増してキレキレでした。 あっというまに約40分のベビメタに演奏は終わりました。いつものように「See You」であっけなく終わりました。と同時に会場に集った多くのベビメタファンおよび一般聴衆の移動が始まりました。 ぐぬぬぬ・・・どれだけ人がいんねん・・・。 マウンテンステージの次のGHOST公演の時は約1/4 に減ってしまっていたということです。GHOST涙目ですが、まあ仕方ない。ベビメタが異常なのです。
 KRAFTWERKのライブ風景
翌日は大トリでクラフトワークを観ました。 3D眼鏡を装着しての3D鑑賞です。当日配布された3D眼鏡はちゃちいものでしたが、これが意外や意外、なかなか装着感覚がよくてよかったです。 大トリといってもさすがにクラフトワークにそれほど観客は集まらないだろうなあと危惧はしていたのですが、それでもマウンテンステージの7割方は埋まっていたように思います。よかったよかった。 クラフトワークのライブそのものは3D映像とともにダフト・パンクを想起させる衣装を纏ったメンバーたちが淡々とテクノを演奏していきます。約1時間20分のライブの一番の見所は、やはり「Radioactivity」。直前にMCで友人の坂本龍一に日本語訳をしてもらったこと、そして闘病中の坂本の回復を祈るということが英語で語られました。しかし、正直に言うと、1時間20分立ちっぱなしでクラフトワークを聴くのはやはりちょっとつらいです。座ってゆっくりと聴きたかったというのが本音です。 ということで、今回のサマソニで感じたことを。 まずはどの会場も大体半分くらいの入りだったような気がします。 下はマリンステージですが、日曜日の昼のライブはこのように空き空きでした。
マリンステージはQVCマリンスタジアムが用いられる
でも半分くらいの入りのほうがのんびりと観れていいような気がします。フェスなんですからのんびりと聴くという方がそもそもの趣旨にあっているような気がします。そこで自分の知らないミュージシャンの演奏にたまたま出会い感動するというのもひとつの醍醐味といえるのではないでしょうか。 最後に今回のサマソニでわたしが聴くことが出来た演者の中でのベストアクトは? もちろんベビメタといいたいところですが、そしてそれに十分に値するベストアクトをベビメタはみせてくれたのも確かなのですが、残念ながらもうひとつ抜きん出たバンドがいました。 それはBOOM BOOM SATELLITESでした。 2日目のクラフトワークの公演の前にレインボウステージでの演奏でした。元々、お気に入りのバンドだったので観る予定にしていたのですが、それほど期待していたわけではありませんでした。しかし、ブンサテは、約半分くらいしか埋まっていないレインボウステージで圧巻のパフォーマンスを見せてくれました。わずか3人のユニットでここまでの音を圧出し奏でるとは! 素晴らしかったです!ブンブンサテライツ! 本当にありがとう! ということで、ブンサテのPVを最後に貼りつけておきます。



2014年8月8日金曜日

マスコミと科学界の不幸な関係

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火曜日午前のオペがやや早く終わったので、締め切り間近の依頼原稿の執筆にとりかかろうとオペ室からいそいそと出ようとしていたわたしの前に同期の麻酔科部長が現れ、わたしの目の前にiPhoneの画面を差し出した。
そこには、「笹井」という文字と「自殺」という文字が見えた。
一瞬にしてわたしは事態を理解したが、それでも驚愕するわけでもなく、なぜか淡々としていた。
なぜか?
笹井くんと自殺というのは、最もかけ離れたまったく想像もできない文字の組み合わせに違いなかったからだと思う。
わたしにとって笹井くんは同期のなかでも最も自殺とは縁のない人だと思えた。というかそんなこと一瞬として脳裏によぎることはなかった。
ある意味、今回の件で汚点をつくってしまったが、この失地からいかに甦ってくるか、その凛々しい笹井くんの姿を想像するだけだった。
正直いって未だに笹井くんの自殺を素直に受け入れることはできないのであるが、それでも本当にそうならそれは笹井くんをして自殺させる状況というのはいかに苛烈なものであるかと想像し、同じ状況に陥ったら自分ならどうなっていたのだろうと考えるとやりきれない思いに浸るのであった。

すべての不幸のはじまりは、あの最初のSTAP細胞の会見にある。

あの過剰に演出された会見で、理研は、笹井くんは、小保方さんはマスメディアと大衆の渦の中に深く深く足を踏み入れてしまった。
そこは賞賛がある一方、嫉妬や毀誉褒貶にまみれたどす黒い世界ともいえる。
ちょっとした出来事で、評価が一変してしまうこともしばしば。
そして、その手のひら返し、しっぺ返しに見事に彼らははまっていく。

医師としてまた昔は研究していたものとして、論文の部分的コピーなんか普通でしょっ、方法論の記述ミスもよくあることやん、論文自体の結論が間違っていて再現実験ができないなんて普通やん、今まで同じ追試実験やって同じ結果が得られないって数えきれんくらいあったわ、普段、病院で抄読会やっててもまず論文読んで話すことはこの論文メイクやろとかかなり盛ってんなとか、そもそも発想が間違ってるわとかそんなんばっかりでまず否定から論文読みは始まるというのが王道やろ、臨床医学の論文なんてその成績のよさを信じてやった手術法がとんでも手術法で現実的にその手術法でかなりの合併症を被った患者もいるで、で、それは世間に明るみに出ることなく闇に葬られていく、そんなん沢山とは言わんけどけっこうあるな、とか、とか。
で、この記述は同業者にはある程度の同意を得てもらえると思うのだが、それ以外の人たちが読むともう怒り心頭、許せん、謝罪せよ、告発じゃ!となるのは最もだと思う。

正直にいうと、今の今でも笹井くんのどこが悪かったのかまったくわからない。かれが捏造したなどとはまったく思えない。不適切な関係?まさに笑止千万、あり得ない。かれは自分に与えられたタスクを忠実に実行し、それはネイチャーアクセプトという形で花咲いた。
しかし、あの過剰演出が、後々・・・・。
ヒーローとヒロインになるはずだった2人は見事に大衆とマスメディアによって地に引きずり落とされた。そしてある意味の公開処刑にあわされた。

公開処刑。
ちょっと言い過ぎかもしれないが、当人たちにとってはそれ以上の過酷なものに違いない。

しばしば新聞やTVに「新たな治療法が開発される!」「難病ももうすぐ治る!」などの文言が踊ることがあるが、わたしなどはそれらを読む見る度に、どうせまた1年後には消えている糞実験だろ、とか、どうせまたいろいろな作用機序がわかって迷宮に陥っていく類の成果やんけ、とか言って、罵詈雑言を並べて終わるのが常なのだが、世間はそうでもないのだ。小さな他愛もない成果に一喜一憂する人たち、それもかなり多くの人たちがいるというのも現実なのだ。

今回、特筆すべきは、ネットの威力でもあった。データの捏造を暴いていったのはすべてネット経由であった。なにをしてあのような暴露作業がなされるのか?その動機には興味津々ではある。暴露をしていった人たちの心の闇のようなものにも触れてみたい気もする。まあどうせ無理なことなのだが・・・。

笹井くんはマスメディアに殺されたという人もいる。そうかもしれない。
しかし、わたしはマスメディアというのはそういう類のものだと思っている。そしてそうでなければいけないのかもしれないと思っている。
変えるなら科学界のマスメディアへの対応だと思う。マスメディアを利用してその業績を喧伝することも大切かもしれないが、もっとやり方を変えないと同じような犠牲者(科学者)が出るのは確実だ。

佐村河内氏の嘘が暴かれた際に、わたしも含めて多くの医師も科学者もざまあ!といってその公開処刑を楽しんだのだ。しかし、音楽関係者の一部では佐村河内氏のやり方のすべてが間違っているわけではなく、プロデューサーとしての才能はあると擁護する人もいたのは確かだ。住む世界が違えば事象の見え方も変わってくる。当たり前のことだ。

ああっ、とにかくわたしもあなたもそして多くの人が、ネットを通じて、マスメディアを通じて公開処刑が行われるのを楽しみにしている。 これは現代の病理でもなんでもない。おそらく昔からある人間の根源的な欲求だと思う。ただし、身内が公開処刑の対象になった時は悲惨であるに違いない。その時だけ自分は被害者だとうそぶくことは可能だが、それよりも他の局面では自分も公開処刑の観覧者だということをもっというなら間接的な加害者であるかもしれないということを認識しておくべきかもしれない。

書いていて何が言いたいのかよくわからなくなってしまった。
とにもかくにも笹井くんの死に、合掌。
あまりにも大きな才能を世界は失ってしまった・・・。