2016年1月31日日曜日

モナドと多崎つくる

 筒井康隆氏が昨年後半に発表した「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長編」と謳った作品。

年始の暇な時に、ふたつの小説を読んだ。
ひとつは筒井康隆氏の「モナドの領域」で、もうひとつは村上春樹氏の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」。
「モナドの領域」は新潮編集長矢野さん絶賛の作品でその惹句も凄いのでこれを読まずしてどうしようという感じでわざわざ書店までいって購入した。ただ、この書店(いわゆる大型チェーン書店)にいった際に、文芸書の棚の少なさと反対にラノベの豊富さに唖然としてしまった。今やラノベの方が多数派なのである。
で、多崎つくるはkindleで購入できるようになったのでついつい購入してしまった。わざわざ書店まで行く必要がないのでkindleはとても便利だし、本棚の場所も占拠しないし、紙も使わないので地球環境にも優しい(笑)。
まずは「モナドの領域」。確かに筒井康隆氏のこれまでの作品の総集編という感じがしないでもない。過去の様々な作品の断片を見つけることができ、これは筒井康隆マニアにはたまらないような気がする。わたしは筒井氏のファンだが、マニアではない。そんなわたしでもわかるのでマニアにはたまらないであろうことは容易に想像できる。ただ、話の中頃あたりから語り始められる唯野教授的な内容はわたしには退屈で仕方なかった。でもそれが終わると最後まではさすが筒井康隆!といわんばかりの構成で感心したし、読了後には満足感を得られた。正確には長編ではなく、中編である。筒井氏の最高傑作かというとちょっと疑問符が付く。なぜなら実験小説家としての筒井康隆氏を賞賛するわたしとしては筒井氏の最後の最高傑作はとんでもない実験小説であると思うからである。わたしが読んだ限りでは「モナドの領域」には実験的な要素は少なかったように思う。そんなことはないのかもしれないがそうならそれはわたしに読む力がなかっただけのことかもしれない。わたしには「モナドの領域」は筒井氏の遺書代わりの総まとめのようなものに思え、それでも今後はとんでもない実験的短編を発表して、読者の度肝を抜いてくれるのであろうことを期待している。
で、多崎つくるは、滅茶苦茶面白かった。というかとても上手い、超絶に上手い小説だなあといつもながら村上春樹氏の作品を読む度に感じるものを今回も感じた。わたしは村上春樹氏のファンではないが、どちらかというと好きな作家であり、新作が発表されるとすぐに購入して読むということは決してないが、5年から10年後くらいに密やかに読むということを常としている。「風の歌を聴け」では、文中のTシャツの絵にちょっとびっくりしてこれいいなあと思ったが、「ノルウェーの森」の食事の描写の多さには辟易したし、かといって「神の子どもたちはみな踊る」は超絶上手いと思い、自分が少しでもこんなに上手く書けるようになればなと思ったがそうなると自分の価値なんて無になるし、そういうふうに思って作家を目指す村上春樹モドキ小説家志望者どもと同じ穴のムジナになってしまうと自戒したりもしたが、「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んでランナー村上春樹氏には足元にも及べないわと感嘆したりもした。
多崎つくるがあまりにも面白かったので、興味本位にアマゾンレビューなどを読んだが、結論がないとか有耶無耶しているとかで否定的な人が結構いて、びっくりした。なんとなく推理もの仕立ても構成だから推理小説好きの人が読むとその結論のなさに憤慨してしまうのかもしれないが、結論(というのはすべて凡庸であるとわたしは思っている)を期待する人は推理小説を読めばいいのであって村上作品など手にするのは大間違いなのである。村上春樹氏の作品は解釈を読者に委ねるのであって、読者が読者なりに考えなければいけない。そこがいいとこなんだろうと思うし、そうだからわたしは村上春樹氏がどちらかというと好きなのであるし、推理小説とかサスペンスとかそういった類のものにあまり興味がないのもそういうところからかもしれない。
ということで、なんとか1月に更新できました。乙!

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