2013年8月23日金曜日

藤圭子と綾波レイと長門有希と御坂妹と

藤 圭子(ふじ けいこ、1951年7月5日 - 2013年8月22日)は、日本の演歌歌手。
本名、阿部 純子(あべ じゅんこ)。 
岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ち。1960年代終わりから1970年代初めにかけて一世を風靡する。
夜の世界に生きる女の感情を描いた暗く陰鬱な歌(『怨歌』)を、伸びやかかつ深々と歌い上げた。
娘は音楽家の宇多田ヒカル。

昨日、藤圭子が亡くなられました。噂では自殺ということです。なんというかもともと幸薄い感じの方でしたので、それなりの亡くなり方なのかもしれません。
藤圭子といえばやはり「圭子の夢は夜ひらく」がわたしには一番印象的ではあります。昔はカラオケでよく歌ったものです(最近はカラオケそのものに行く機会がないので歌うことはないのですが)。
ちなみに「夢は夜ひらく」には原曲と圭子版と三上版があります(もしかしたらもっと他のバージョンもあるかもしれません)。このなかでわたしが一番好きなのはもちろん三上版です。高校生の頃からこの三上版の「夢は夜ひらく」が大好きでした。もちろん、圭子版も好きでしたが。それぞれの歌詞とYoutubeの動画を下に貼っておきます。

    三上寛版 「夢は夜ひらく」     



七に二をたしゃ九になるが
九になりゃまだまだいい方で
四に四をたしても苦になって
夢は夜ひらく

サルトル マルクス並べても
あしたの天気はわからねえ
ヤクザ映画の看板に
夢は夜ひらく

風呂屋に続く暗い道
40円の栄光は
明日のジョーにもなれないで
夢は夜ひらく

八百屋の裏で泣いていた
子供背負った泥棒よ
キャベツひとつ盗むのに
涙はいらないぜ

四畳半のアパートで
それでも毎日やるものは
ヌード写真に飛び散った
カルピスふくことよ

赤提燈に人生論
やけに悲しくつり合うが
コップひとつの幸せを
なんで飲み終る

生まれ故郷の小泊じゃ
今日もシケだといっている
現金書留きたといい
走る妹よ

本当に行くというのなら
この包丁で母さんを
刺してから行け行くのなら
そんな日もあった

夢は夜ひらく唄っても
ひらく夢あるじゃなし
まして夜などくるじゃなし
夢は夜ひらく

藤圭子版 「夢は夜ひらく」



赤く咲くのは けしの花
白く咲くのは 百合の花
どう咲きゃいいのさ この私
夢は夜ひらく

十五 十六 十七と
私の人生 暗かった
過去はどんなに 暗くとも
夢は夜ひらく

昨日マー坊 今日トミー
明日はジョージか ケン坊か
恋ははかなく 過ぎて行き
夢は夜ひらく

夜咲くネオンは 嘘(うそ)の花
夜飛ぶ蝶々も 嘘の花
嘘を肴(さかな)に 酒をくみゃ
夢は夜ひらく

前を見るよな 柄じゃない
うしろ向くよな 柄じゃない
よそ見してたら 泣きを見た
夢は夜ひらく

一から十まで 馬鹿でした
馬鹿にゃ未練は ないけれど
忘れられない 奴ばかり
夢は夜ひらく
夢は夜ひらく


無口で無表情な薄幸の美少女といえばまずわたしの脳裏によみがえってくるのはこの藤圭子さんに他なりません。そして、今回、この藤圭子さんの訃報に接して、まさに藤圭子さんは綾波レイ、長門有希、御坂妹と繋がる薄幸美少女たちの元祖ではないかと思った次第です。そう考えると藤圭子さんの娘の宇多田ヒカルさんがエヴァンゲリオンの劇場版の主題歌を歌っているのもなんとも頷けるものです。
三上寛は天井桟敷で知りました。「田園に死す」で登場してます。今も元気に活躍なされてます。そういえば大島渚の「戦場のメリークリスマス」にも出ていたなあ。
もうひとりの三上博史も寺山修司に発掘された役者です。漢字は違いますが二人とも「ひろし」でややこしいです(三上寛は「かん」ですが)。外見はまったく違います。わたしは三上博史が大好きです。岩井俊二の個人サイトで昔の天井桟敷に関する思い出話の動画がアップされており、とてもおもしろかったです。ちなみにわたしは この岩井俊二のサイトの有料会員です。このサイトのURLはここです( http://iwaiff.com/ )。

とここまで書いてなにが書きたかったのかわからなくなりました。
とにかく藤圭子が死んで悲しいということ。
そして、藤圭子は、綾波と長門と御坂妹のお師匠さんであること、それが言いたかったのです。

あっ、それからネットゲリラさんがこの藤圭子について「ルサンチマンのアイコン」と題してすばらしい文章を書いておられます。こちらをみていただけれ幸いです。 http://blog.shadowcity.jp/my/2013/08/post-3434.html#more

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