2013年12月1日日曜日

邦楽HM/HRの歌姫たち〜カルメンマキからSU-METALまで〜


カルメン・マキ(1951年5月18日 - )は、神奈川県鎌倉市出身のロックミュージシャンである。
アイルランド人とユダヤ人の血を引くアメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる。
1969年に「時には母のない子のように」(作詞:寺山修司、作曲:田中未知)でデビュー。累計でミリオンセラーの大ヒット。ちなみに、当時の彼女の曲の作曲は武満徹やクニ河内が、作詞は前述の寺山修司や谷川俊太郎が、それぞれ手がけている。
1972年にはギタリストの春日博文らとともに「カルメン・マキ&OZ」を結成。

日本のロックシーンにおいて記憶に残っている女性ボーカリストとなるとまず一番に浮かんでくるのはやはりカルメンマキ&OZのカルメンマキです。
元々は、わたしが敬愛する寺山修司作詞の「時には母のない子のように」でデビューして脚光を浴びるわけですが、その後は自らの意志(ジャニス・ジョプリンの影響)で、ロックボーカリストへと転身していきます。今でも元気に現役で活躍なされています。素晴らしいです。
彼女の曲で一番印象に残っているのがやはり一番有名な曲で「私は風」というやつで、これは長谷川和彦監督「太陽を盗んだ男」のなかでも使われていることもあり非常に記憶に焼き付いています。

 

いかがでしょうか?入の静けさが途中で打ち破られ激しいロックへと転調していきます。
「チュッチュッチュウ−−」というハミングがやけに耳に残っています。
で、カルメンマキの次に印象に残っているのが、SHOW-YAの寺田恵子さんです。そして、この寺田さんはカルメンマキのファンでもあり、「私は風」へのオマージュ作品として「私は嵐」という曲を歌っています。

 

二人共、迫力満点です。素晴らしいです。この時点で、邦楽のHRでもほぼ完成度は頂点を迎えているといってもいいような気がします。ですから同じ路線でHRやHMをやっても時代遅れ感満載となるのは必然ではないでしょうか。
そういえば赤坂小町(後のプリンセス・プリンセス)とか浜田麻里とかいう歌謡ロックもありましたがあまり印象には残っていません。軟弱で凡庸という印象しかありません。
 で、その後、BABYMETALのSU-METALに出会うまではいわゆる歌姫というものには出会っていないわけですが、敢えて曲限定でいうなら「Count Down」のCOCCOと「Rolling Star」のYUIには感銘を受けました。が、二人共、HR/HMのボーカルではないので結局はわたしの記憶のなかには淡い足跡しか残していません。でも、この二曲は本当に鮮烈でした。

 

 

残念なことにCOCCOは精神の病を来したようですし、YUIもなんか金髪になってインディーズバンドに転身したような噂をききましたが詳細は知りません。どちらにしてもハチャメチャでわたしの評価が間違っていなかった証拠です(笑)。二人共まじで哀しいくらいのアーティストで、歌姫です。狂いながらも頑張ってほしいです。
で、最近お決まりのBABYMETALネタへ。
そう、邦楽ヘビメタ最終兵器歌姫SU-METALについて。といっても正直いって、そこまで絶賛できるものではないような。これからの成長を待ちたいと思いますし、必ずや成長していくものと思われます。現時点での彼女の歌姫としての代表曲は「紅月」ということになるのでしょうが、もっと皆を唸らせる楽曲の誕生を期待したいです。そのためにもKOBAMETALさん、がんばってください。