2010年7月29日木曜日

真性気狂いバンド?



前エントリーで、邦画史上最高のB級映画といえる「愛のむきだし」という映画に出会ったことを書きましたが、今回はほぼ同じような意味で「神聖かまってちゃん」というバンドをとりあげます。
同 じような意味とは、つまり神聖かまってちゃんは日本音楽史上最高のB級バンドであるということです。楽曲はどれもすばらしい!どれも安っぽい感じで、素 人っぽい感じで、垢抜けてなく、叙情的な面もあり、切なくて刹那的な感じで、そして決定的なのはキチガイじみていること。
神 聖かまってちゃんの楽曲を作詞作曲しているのは、「の子」ですが、この人、はっきりいってやばいです。これまで「やばい」雰囲気を演じていた音楽家や役 者、芸術家はたくさんいましたが、この「の子」は真性にやばいです。後ろからもうちょっと突いてあげれば精神病院送りは可能のような気がします。かまって ちゃんのライブでは何曲演奏できるかは「の子」のその時の精神状態にかかっているみたいで、昨年のサマソニでは1曲しか演奏できなかったということ。おい おい、これ完全に病気ですって。NHKのMJに出演した際も最後のの子のアジテイションは危なかったし、目は逝ってました。ともかく、これ までの音楽業界の流通システムのなかからは絶対生まれ出ないバンドであるのは確かです。神聖かまってちゃんは、の子が自らニコニコ生放送等で自らを宣伝 し、楽曲PVをうpし、少しずつ評価を得ていったという出自過程をもっています。自らが自らの作品をプロモートする芸術家など芸術家ではないと思われる方 が多いような気がしますが、神聖かまってちゃんの楽曲は疑いもなく芸術作品です。まさに真性キチガイが己の混沌の闇のなかから掬い上げてきた魂の叫びが聞 こえます。時代はどんどんと変わっていくものだなあと感じました。おそらく「の子」のような音楽家は昔からいたには違いないのですが、それがこのように表 に出てくることはなかった、出てくる手段を持ち得なかった。しかし、現代では個人の力でなんとかなるようにはなってきている。それがメジャーになることは ないと思います(そもそもメジャーなんてもうなんの意味もないと思います。あるとすれば単なる「凡庸」ということですか)。神聖かまってちゃんも今以上に メジャーになることはないでしょう。なってしまうと「の子」の将来が危ういです。この人、5年後にはいないか、廃人になってそうです。神聖かまってちゃん があと何年活動を続けていくのか興味あるところです。の子以外の3人のメンバーは極めて常識的な人間ですが皆がやはり閉塞感のようなものをもっており「の 子」の才能に賭けているような感じがして、そしてなんとか「の子」を支えているその姿は感動的ですらあります。自分はおそらくこの3人の立場に近い人種で あります。だから彼ら彼女の気持ちがよくわかるような気がします。
作 品の質から毀誉褒貶の多いバンドであるのは確かでありますからわたしとしては「絶対的に応援」していきたいバンドです。尾崎豊なんていう偽物を賞賛するバ カには「お前死ね!」と声を大にして言い、神聖かまってちゃんがわからないという心優しき凡人にはあんたにゃ芸術は必要ないと諭してやり、同様に、 「ニューシネマパラダイス」をみて「これこそ映画だ!」というぬかす糞には、「愛のむきだし」を無理矢理みせて、その顔が苦痛に歪むのを楽しみたいと思っ たりするのだが、今期芥川賞受賞した赤染晶子さんの作品は「新潮」(毎月贈られてきます)に掲載されていたので読んでみたが糞みたいな作品だったのだが、 だからといって嘔吐するわけでもなく発狂するわけでもなく「つまらん」と心の中で呟いただけの凡庸な自分はもうどうでもいいのだが、全国の芸術家諸君!全 国の芸術家諸君!心臓にぐさっと突き刺さる作品を待っているから、待っているから、よろしく!
などとちょっとキチガイ遊びをしてみました。
下にシングルで発表された「夕方のピアノ」とおそらく一番有名な曲「ロックンロールは止まらない」を貼っておきました。他の曲もすばらしいので、興味が湧いた方は、公式サイトへ( http://nekonekonekoneko.cocolog-nifty.com/ )





神聖かまってちゃんのメンバー
左よりちばぎん、mono、みさこ、の子