2014年3月30日日曜日

STAP細胞とコピペ問題

STAP細胞: (Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency cells)とは、
動物の体細胞に外的刺激を与えて分化多能性を獲得させた細胞である。
(Wikipediaより)

このブログでは基本的に時事ネタはあまり書かないようにしているのですが、このSTAP細胞については以前ダフトパンクといっしょに取り上げたこともあり、またそれ以上に、このブログでこれまでわたしが取り上げた人(田崎くん森岡さん)がツイッターでかなり言及していることもあり、ツイッター関連ではなぜかわたしをフォローしているbiochem fanさんがどうもbioinformaticsに精通しているようで、今回の事件でネット側の有力な情報発信源となったslash dotのkahoさん(この方は理研のbioinformaticianらしい)とそのデータ解析についてリアルにやりとりしており傍から見ていて興味をもったこともあり、また、同じくネット側の重要な情報発信源でO氏のコピペ問題を次々と指摘していったJuuichijigenさんが、わたしが森岡さんのツイットの返信でS氏のことを呟くとすぐにわたしをフォローするようになったことなどもあり(かなりびっくりしました)、それよりなにより、この事件の関係者であるS氏はわたしの大学の同期であり、米国留学中は一時期同じ大学に在籍しておりちょっとした交流もあったこと、また以前のエントリーでも書きましたが理研のiPS細胞の最初の臨床応用になるであろうiPS細胞由来網膜色素上皮細胞の移植のユニットリーダーであるT氏もとても長い付き合いのある知己であること、今回の事件で理研のユニットリーダーたちのまとめ役のようなことをやっているH氏は高校の同級生であること、以上いろいろとつながりがあり、それでいて密接な関係とまではいかないのであまり気を使う必要もなく書けるので好き勝手なことを書きます。
まずS氏については、現時点ではなにか悪の黒幕のごとく書かれているのをよく見かけるのですが、わたしの皮膚感覚(どう表現すれなよいのかよくわからないのですが、これまでの付き合いからわたしが得てきたかれに対する直截的な感想のようなもの)からするとS氏がそのようなラスボスの役回りを演じる確信犯的悪人ではないとはっきり言えます。学究肌であり、医学生物学はもちろんですがその他様々なことをよく知っており冗談も通じて楽しい会話も成立するという極めて常識人であるのがS氏の正しい姿だと思います。そして、やはり科学者として真理を追求することに何より情熱を傾けるという姿勢は常人以上のものがあり、それはこれまでのS氏の輝かしい業績が物語っています。かといって常にその分野での王道を歩んできたかというとそういうわけでもなく、大学院生の頃は同じく同期のM氏がNatureに論文を載せ喝采を浴びていたなかでかれはその陰に隠れていた感がありますし、そんななかある意味起死回生の逆転を狙って留学となったものと思われますが、そんな気負いのようなものはわたしにはつゆとしてみせず、淡々と実験に取り組んでいる、そしていっしょに米国に来た家族(当時はまだ幼い息子さんもいっしょでした)とともに米国での生活を楽しんでおられました。
そんなS氏がどうしてこうなったのか?
自分をS氏と置き換えて考えてみると、理研の副所長として理研の研究者をリクルートするには、単に業績主義で経歴も立派で極めてきっちりしたある意味堅実な研究者を雇うのも一手ではありますが、そうではなくて今回の主役となったO氏のような業績はないが、妄想ともいえるようなある仮説に固執しておりその仮説はもし正しいのなら生物学の世界にコペルニクス的転回をもたらすかもしれない、そしてそれをやろうとする情熱に溢れている、しかも知己の信頼できるオーソリティーともいえる研究者からの推薦もあるとなると、それはやはりチャンスを与えてみようとなるのは当たり前だと思いますし、そうあるべきだと思います。その意味で、今回の理研のO氏のユニットリーダーへの抜擢はおかしなものではなく、逆に理研の姿勢に研究所としての理想型を見出します。業績至上主義で、糞みたいな論文でも沢山あればOK、impact factorが高ければOKという実務的な選抜方法ばかりではおそらく面白い研究は生まれないような気がします。
で、可能性を託してS氏はO氏を選んだ。
そして、できる限りの協力は惜しむまいと。
結果として、O氏はSTAP細胞があり得るという実験結果を得た、いや、S氏へ呈示した。
S氏はO氏を論文完成へと導いた。自分自身のためではなく、いわゆるシンデレラ・ストーリーを創るプロデューサーとしての役割に徹していただけのことだと思います。組織のトップに付いたことのある人ならプロデューサーとして配下のスタッフを成功の道へと導くことの自己満足度の高さというのはよくわかるのではないでしょうか。
男女の関係とかiPS細胞の山中先生への嫉妬とか下世話な噂も聞こえますが、わたしにとってはまさに笑止千万で、S氏からはそういう臭いはまったくしません。いくらなんでも科学者としての業績で理研の副所長にまで登りつめた研究者がそんな下世話なことをやらかすとは到底思えません。が、これはわたしのバイアスのかかった勘違いなのかもしれません。本当のところはS氏とO氏にしかわからないのです。いや、その当人たちにもわからないのかもしれません。お互い様のその関係においてさえその解釈は違っている可能性大です。
とにかくO氏はそんなS氏の協力にお構いなく、見事な捏造データを発表した。
S氏も見事に騙された。
おそらくここが問題となるところだと思います。
つまり、S氏は騙されたのか、それとも共犯者なのか?
普通に考えれば共犯者になる必要性がS氏にはないと思います。ここまでの見事な業績のある研究者がさらなるものを求めて危うい橋を渡るとは思えませんし、捏造データが通用するなどという甘い考えはもちあわせていないでしょう。
どう考えてもS氏は「O氏にやられてしまった」。
O氏を好意的に解釈するなら彼女の妄想は彼女のなかではすでに真実となっており(つまりSTAP細胞は現実に存在するもの)、後はそれをどうやって証明するか、それだけが必要であり、STAP細胞は真実なんだからその証明手段にちょっとした虚飾があったとしても真実には違いないのだから問題なく、他の研究者が追試実験でその真実を証明してくれるだろう、その間までに自分の施した虚飾がバレなければ問題ないと考えたのかもしれません。
(ちなみに医学関係の論文で再現性のない疑わしい論文というのは数多くあります。もっと言うならそれが普通です。結局は追試実験により信頼性を勝ち得ていき、その真実が証明されるのです。つまり数多くの論文が再現されることなく闇に葬られていくのです)


上の写真がこのSTAP細胞の真偽において決定的となったものです。博士論文で使用した写真を今回の論文で使用するという普通に考えて想像もできない安直なことをしています。
なんでこんなことしたのかなあ・・・・まさに溜息です。
この事実を知った時、S氏は目の前が真っ暗になっただろうなあとは想像できます。
それでもS氏はO氏を信じて(それともなんとかこの不都合を秘匿するため?)、別のデータを新たに呈示した模様です。ということは、やはりS氏はSTAP細胞の存在を確信しているのかも・・・ここまで来るとなにがなにやらわかりません。ただ、おのれの名誉を回復するためにS氏ができることは自らがSTAP細胞の存在を証明することなのではないでしょうか。そして、S氏ならそれは可能だと思いますし、結局は存在しなかったことを証明することになるかもしれませんが、それこそS氏の責任だと思います。
O氏は様々なコピペ問題もあり、おそらくというか必然的に研究者としての生活は終わると思います。たとえSTAP細胞が真実であったとしてもそれを証明するのは他の研究者ですし、STAP細胞の発想自体はヴァカンティ博士のものですから彼女の名前がSTAP細胞の歴史のなかに残ることはないでしょう。このまま静かに消え去ることが彼女にとっても一番いいような気がします。
コピペ問題については早稲田大学の博士論文でも他の研究者も大々的にやっていたようですので、O氏ひとりの責任問題にするには無理があります。このコピペというのはネットが発達し、あらゆるテキストがネットで拾い読むことができる現在となっては仕方のない現象であります。
わたしは「あしたをはる」で、自分の言葉のないすべてコピペの文学作品(コピペの引用は明示する)というものを目標にしましたが、おそらく文学賞に応募される文学作品等も大なり小なりコピペ作品といえるものが大勢を占めてきているのではないでしょうか?確か数年前の文芸賞で受賞作がコピペ問題で失格になったことがありました。
今後、コピペ検証システムがもっと発達していくことだと思われます(現在ではdiffなどがありますが)。これが究極的にまで発展すると自分の言葉で書いたと思った小説をコピペ検証システムで検証するとほとんどがコピペであることがわかり、何も書けなくなってしまうということが起こりえます。まさに笑い話です。そして、どんなつまらない駄文にも特許が付いて、その使用には著作権いや著文権がかかわってくるということになるのでしょう。そして最後にはわたしたちは自分の意見、感想さえ公に文書で表明することができなくなる。それはすべてが既知のものであり、自分のオリジナルと思っていたものがすべて過去に登録されたものであった。このようなことを題材にしたSF小説ってあるのかなあ?

コピペは悪か?

コピペされるということはそのオリジナルの信頼性が高いことと解釈できます。
コピペを追試実験と考えるとコピペすることによりその仮説は正しいことが証明されることになるのです。つまりコピペ可能=真実。
STAP細胞は追試実験によりその真実性を証明される必要があるのですが(現時点では真実かどうかは不明)、まさにその論文のコピペ構造によりおのれがコピペされる以前にコピペ検証から外されてしまったというのが現在の状況なのではないでしょうか。
なんという自己言及的な矛盾に満ちた構造。
これはおそらくコピペ絶対だめ!といっている問題ではないと思います。
コピペ自体は生物学ではそのDNAも含めて根源的に必要なものです。
どちらかというとオリジナルに固執して、おのれの権利や自己主張を誇張する方が生物学的にみておかしいような気もします。
わたしが敬愛する寺山修司を「剽窃の作家」として貶める輩がたくさんいます。まさに馬鹿ばっかしです。わたしは「剽窃の作家」ゆえに寺山修司を愛します。寺山修司は過去のいろいろな言葉を拾い集めて新たな形で提示してそこにあらたなオリジナリティを見せつけてくれました。ちょっといい過ぎかもしれませんが、数十年後には「コピペで何が悪い!」というのが普通になるのかもしれません。そして、現時点でそれはそれで仕方ないというかそうあるべきなのかもしれないとわたしは考えています。

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